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2025年3月28日 (金)

明治政府が「神仏分離令」を公布(明治元年 1868年3月28日)

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 明治維新により長らく続いた江戸幕府が終焉しました。王政復古により日本の政治体制は武家を中心とする政治から天皇を中心とする政治に戻りました。平田篤胤などの国学者たちは日本固有の文化や宗教を重視し、仏教や儒教の影響を排除した純粋な神道を復興させるべきだと主張しました。明治政府は新しい国家体制をより強固なものとし列強に対峙できるようにするには国民の意識を統一させる必要があると考え神道を純粋な形で復興させる神道国教化の政策を進めました。

 明治元年(1868年)3月28日、明治政府は神仏分離令の太政官布告「神号々仏語ヲ用ヒ或ハ仏像ヲ神体ト為シ鰐口梵鐘等装置セシ神社改正処分・三条」を公布しました。

 この神仏分離令によって明治政府は仏教的な権現や牛頭天王などの名称を用いている神号を純粋な神道の名称にすること、神社の神体として祀られている仏像をはじめとする仏教的な要素を撤去すること、神社に奉仕していた僧侶に還俗とすることなど、長年続いていた神仏習合を禁じ神道と仏教を明確に分離しました。

神仏分離の様子(Google Geminiによる作画)
神仏分離の様子(Google Geminiによる作画)

 江戸幕府の政権下では寺院は単なる宗教施設にとどまることなく行政、教育、文化、福祉など多岐にわたる役割を果たし地域社会において重要な存在でした。明治政府は寺院の機能を役所に持たせ前政権の影響を受けている寺院の社会への影響力を抑えたのです。

 「神仏分離令」は仏教を弾圧し排斥することが目的ではありませんでしたが全国各地で廃仏毀釈運動が起こり多くの寺院や仏具が破壊されました。やがて自由民権運動が起こり宗教の自由が求められるようになり神道国教化の政策は縮小していきました。

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