大塩平八郎の乱(天保8年 1837年2月19日)
天保4年(1833年)の大雨による洪水や冷害による大凶作により長らく続いた「天保の大飢饉」により各地で多くの人々が犠牲になりました。米の価格が高騰したこともあり民衆の不満は頂点に達し百姓一揆や打ちこわしが多発しました。
大坂で米不足が深刻化すると大坂東町奉行の元与力で陽明学者の大塩平八郎は奉行所に民衆の救援を提言しました。奉行所が大路なかったため、平八郎は私財の蔵書5万冊をなげうって資金を作り民衆を救援しました。このような状況にも関わらず大坂東町奉行の跡部良弼は民衆の援助の手を差し伸べず豪商から買い占めた米を江戸へ送るなどしていました。米の価格はつり上げ暴利をむさぼる豪商に対して平八郎の怒は頂点に達し武装隆起を決意し武器の調達や軍事訓練を行うなど決起の準備を始めました。
平八郎は大坂町奉行所の不正行為や役人の汚職をまとめた書簡を江戸幕府に送りました。その訴えにより新任の大坂西町奉行の堀利堅が東町奉行の良弼と市内巡検を行うことになりました。余談ですが堀利堅の四男は箱館奉行を努めた堀利煕です。
平八郎は2人が天満地区を巡察する天保8年(1837年)2月19日に2人を暗殺する計画を立て決起の日としました。この日、平八郎は三井呉服店や鴻池屋などの豪商を襲撃しました。平八郎以下総勢約300人が救民の旗を掲げながら豪商の家を襲撃し「大塩焼け」と呼ばれる火災が広がりました。
決起の情報は事前に平八郎の決起に反対した一部の門弟から奉行所に伝わっており、平八郎の決起は奉行所の部隊によりわずか半日で鎮圧されました。平八郎はしばらくの間は大坂近郊を転々としながら潜伏していましたが大坂に戻ったところで居場所が漏れ役人に包囲された同年3月27日に火薬を使って自決しました。
平八郎の決起は半日で鎮圧されましたが幕府の元役人が幕府直轄地の大坂で反乱を起こしたことは日本の社会に大きな衝撃を与えました。平八郎の決起に勇気づけられたものも多く、その後も全国各地で同様の反乱が起こりました。首謀者たちは大塩門弟や大塩残党と名乗りました。
「大島平八郎の乱」は平八郎が民衆を救援するために起こしたとされていますが、大坂町奉行所は米の価格高騰を抑制するための出切り限りの手立てをしていたようです。江戸に米を送ったのは米不足の江戸の庶民を支援したものであったという指摘もあります。大坂東町奉行所は米不足が深刻化すると江戸に大量の米が流出しないようにしています。もしそうだとすると「大島平八郎の乱」は平八郎と大坂奉行所のコミュニケーション不足で起こった可能性もありそうです。平八郎が奉行所に民衆の救済を提言したときに奉行所が十分に説明していれば平八郎の決起はなかったかもしれません。
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