二・二六事件(昭和11年 1936年2月26日)
昭和初期の大日本帝国陸軍では皇道派と統制派の2つの派閥争いがありました。この派閥争いは幕末・明治時代の藩閥争いを起源としたものです。荒木貞夫大将と真崎甚三郎大将を中心とする皇道派は物質より精神を重視し天皇を中心とする日本文化を重んじました。反共産党主義でソビエト連邦を攻撃する北進論を主張していました。一方の永田鉄山少将を中心とする統制派はドイツ参謀本部および第一次世界大戦の影響を強く受けており、技術の近代化を進め政治・経済・軍部を中央集権化をめざしていました。中国大陸へ進出する南進論を主張していました。
陸軍将校には陸軍士官学校を卒業した者と陸軍大学校を卒業した者がいました。陸軍大学を卒業した者は陸軍省や参謀本部など軍部の中央で勤務するエリートコースに進みました。陸軍士官学校を卒業した者は参謀への昇進を絶たれており現場の部隊付きの将校として勤務しました。部隊付きの将校たちは高度に組織化された青年将校と呼ばれるグループを形成するようになりました。
当時の日本は世界恐慌の影響で深刻な不況に陥っていました。都市部では失業者が増え、農村や漁村は疲弊していました。加えて政治家と財界の癒着による政治腐敗などにより社会全体に不満や不安が広がっていました。青年将校たちは部隊付きのため徴兵で入所してくる現場の兵隊と直接会話をする機会が多く国民の疲弊した生活を知り日本の行く末を案じるようになりました。現場の兵隊と接しないエリート将校には国民の本当の苦しみを理解できないと考えるようになりました。そして青年将校たちは政府や財閥を国賊とみなし天皇中心の理想的な国家を樹立しようと国家改造運動を進めるようになり過激な思想を持つに至りました。
荒木貞夫大将が昭和6年(1931年)に陸軍大臣に就任すると陸軍は皇道派が主流となりました。青年将校たちは荒木貞夫大将を尊敬しており、荒木貞夫大将も彼らの過激な思想を改めるように諭すこともありませんでした。こうしたことから陸軍内部で皇道派と統制派の対立が強まりがより完全に2つの派閥に分裂しました。青年将校たちの思想がいっそう過激になると荒木貞夫大将は過激な思想を自重するように求めました。青年将校たちは憤慨し荒木貞夫大将を疎んじるようになりました。青年将校たちを制御できなくなった荒木貞夫大将は昭和9年(1934年)に病気を理由に陸軍大臣を辞任しました。後任には自身の盟友で腹心の皇道派の真崎甚三郎大将を推薦しましたがまわりから反対され、陸軍大臣には統制派の林銑十郎が就任しました。これによって陸軍は統制派が主流となり皇道派の将校は要職から追いやられました。統制派は過激な思想をもつ青年将校を抑圧するようになり、青年将校の不満は高まりくーデーターを構想するようになりました。
1936年(昭和11年)2月26日、青年将校たちは天皇中心の理想的な国家を樹立するため「昭和維新」を合い言葉にクーデター「二・二六事件
」を決行しました。同日未明、青年将校は首相官邸、国会議事堂、警視庁などを襲撃し政府要人を殺害しました。政府は直ちに鎮圧部隊を編成し青年将校たちを包囲しました。事件発生の報告を受けた昭和天皇は激怒し青年将校を賊軍と呼んだと伝えられています。天皇中心の理想的な国家を樹立するためのクーデターは昭和天皇の考えに逆らうものとなりました。昭和天皇は青年将校の決起の理由も問わず直ちに鎮圧を命じました。
青年将校に同情的な要人たちは説得による解決を目指しましたが、政府は同年28日午後11時に「戒作命十四号」を発令し青年将校を叛乱部隊と指定し武力鎮圧の命令を下しました。翌29日早朝に討伐命令が発せられ午前8時30分に攻撃開始命令が下されました。直属の上官の涙ながらの説得により下士官兵は帰営しましたが将校たちは陸相官邸に集まりました。当初は自決を決意し自決したものもいましたが、最終的には法廷による闘争を決意するに至りました。首謀者たちは逮捕され裁判により処刑されました。
青年将校たちはクーデターを引き起こしましたが自分たちが政権を担うつもりはなかったようです。クーデター後の政権は民主的に選挙で決めるべきと考えていたようです。彼らは「失敗はもとより死、成功もまた死」という純粋な気持ちから昭和維新を起こし、クーデターが成功しても陛下に詫びて自決するつもりだったと伝えられています。青年将校に同情する者も少なくありませんでした。
「二・二六事件」をきっかけに軍部の発言力はいっそう強くなり、政権は民主的な政治からかけ離れ軍部に影響されるようになりました。日本の軍国主義化が進みました。そして第二次世界大戦を迎えたのです。
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