薩摩藩が宝暦治水に着工|宝暦治水事件(宝暦4年 1754年2月27日)
濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川は下流の川底が高く流れが良くなかったことからお互いに複雑に絡み合い合流と分流を繰り返していました。特に美濃国では洪水が多発しましたが複数の小さな領国に分かれていたため総合的の治水対策ができませんでした。
享保20年(1735年)に美濃郡代の井沢為永が木曾三川の治水工事を提案しましたが莫大な費用がかかるため当時財政難だった幕府は許可しませんでした。その後、小規模な治水工事は行われましたが抜本的な解決には至りませんでした。木曾三川の合流と分流は収まらず、時代とともに洪水の被害は拡大していきました。流域の多くの村が繰り返し被害に遭い限界に達していたことから、第9代将軍の徳川家重は宝暦3年(1753年)12月に薩摩藩主の島津重年に木曾三川の治水工事を命じました。
江戸幕府が薩摩藩に治水工事を命じたのは幕府自身が財政難により大規模工事を行う余裕がなかったからです。一方で当時の薩摩藩は政治的にも経済的にも強固となっており、幕府はその影響力を弱めるために治水工事で多額の費用を拠出させようとしたのです。しかし実際のところ薩摩藩も多額の借金を抱えており決して財政的な余裕はありませんでした。幕府の一方的な命令に対し不満を募らせるものも少なくありませんでした。
宝暦4年(1754年)1月、薩摩藩は家老の平田靱負に総奉行、大目付の伊集院十蔵を副奉行に任じ、藩士を治水工事の現地の美濃国に派遣しました。平田靱負は2月半ばに大坂に到着し金策をしてから美濃国に入りました。同年2月27日、薩摩藩は木曾三川の治水工事に着工しました。
春になると雪解け水によって河川の水流が増加するため治水工事は二期に分けられました。第1期工事は同年5月22日まで行われ過去の水害で破壊された堤防などの復旧が行われました。第二期工事は同年9月21日に始まり治水対策を目的とした工事が行われ翌宝暦5年(1755年)3月28日に完了しました。薩摩藩は莫大な費用と多くの犠牲者を出しながら工事を完遂しました。揖斐川の河口に設けられた「大榑川洗堰」は薩摩藩の技術力の高さを示すものとなりました。
工事の現場では慢性的に人手不足となっており総奉行の平田靱負は薩摩藩と江戸幕府に人足の追加の派遣を要請しています。宝暦4年(1754年)8月には工事現場で赤痢が流行し数十名の死者が出ました。またこの治水工事では多くの自害者が出ています。多くの場合、詳細は不明
とされていますが、幕府の役人が堤を破壊したことに対する抗議で自害した者もいたようです。結果として薩摩藩士51名が自害し、33名が病死したと伝えられています。工事完了後には総奉行の平田靱負も責任を取って自害しました。こうして薩摩藩士と地元の住民の努力と犠牲により木曽三川による洪水は収まりました。
最近の研究では多くの薩摩藩士が犠牲になったのは事実ではあるものの死因が病死や事故死ではなく自害であると裏付ける資料は発見されていません。自害が広まったのは明治23年(1890年)に出版された「治水雑誌」の記述によるものですが、この雑誌も薩摩藩士の自害は伝承として裏付ける資料を提示していません。また責任を取って自害したとされる総奉行の平田靱負についても病死とされています。
宝暦治水事件により江戸幕府と薩摩藩が対立するようになり後の明治維新の伏線になったという説もありますが、徳川吉宗の時代には徳川家と薩摩藩主島津氏は血縁関係を結んでいます。むしろ宝暦治水工事によって外様大名にも関わらず薩摩藩は優遇されたと考えられます。
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