映画「ニューヨークの王様」日本公開(1959年2月28日)
映画「ニューヨークの王様」は1957年にイギリスで公開されたチャールズ・チャップリン監督・脚本・製作・作曲・主演のイギリスの喜劇映画です。日本では1959年2月28日に公開されました。チャップリンが1952年にアメリカ合衆国から追放された後に製作したものでチャップリン最後の主演作となりました。
1940年にアメリカ合衆国で公開された映画「独裁者」は第二次世界大戦当時のドイツ帝国の独裁政治を風刺した作品で公開と同時に大人気となりました。第13回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、脚本賞など5部門でノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞となりました。しかしながらチャップリンは受賞を拒否しています。
1947年にアメリカ合衆国で公開された映画「殺人狂時代」は金の為に殺人を続ける男が死刑台に送られるまでの顛末を描いたものです。この映画の中でチャップリンは資本主義や第二次世界大戦での大量破壊兵器の使用を批判したためアメリカ国内では酷評され興業は失敗に終わりました。海外では成功を収めましたが戦後の占領下の日本では公開されず日本公開は1970年となりました。本作をきっかけにチャップリンの政治姿勢と活動が問題視されるようになり、チャップリンは共産主義者とされました。チャップリンは自身を「平和主義者」とし、アメリカ政府をイデオロギーと自由を抑圧していると主張しました。冷戦状態が深刻化するにつれてアメリカ市民権を取得していないチャップリンへの批判はいっそう高まりました。
1952年にアメリカ合衆国で公開された映画「ライムライト」は政治的なものではありませんでした。プレミア公開は映画の舞台としたイギリスのロンドンで行うことにしました。共産主義者とされたチャップリンはアメリカに再入国できないことを覚悟しながら家族とともにクイーン・エリザベス号でニューヨークを出航しました。チャップリンの予想通りアメリカ政府はチャップリンが政治的姿勢と活動に関する審問を受けない限り再入国を禁じました。チャップリンはこの事実を船上で知り、アメリカ合衆国との関係を絶つ決意をしました。
アメリカ合衆国から追放されたチャップリンは家族とスイスに移住しヨーロッパで活動を再開し映画「ニューヨークの王様」の脚本の執筆をは始めました。この映画は祖国を追われてアメリカ合衆国に亡命した国王の物語でアメリカ合衆国の政治や社会を風刺した作品で、チャンプリンが経験したことを脚本に取り入れました。本作は1957年9月にロンドンで初公開されました。ヨーロッパでは好評を得てヒットしましたが、アメリカ合衆国では配給されず1973年まで公開されませんでした。
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・映画「ニューヨークの王様」日本公開(1959年2月28日)
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