大久保利通、木戸孝允、板垣退助が政府方針を協議|大阪会議(明治8年 1875年2月11日)
征韓論の是非で政府首脳が対立した「明治6年の政変」により、征韓派の参議の西郷隆盛、江藤新平、板垣退助などが政府を去り下野しました。政局が混乱する中で大久保利通を中心とする内務省が設置され政府の再編が進められました。しかし、台湾出兵をめぐり征韓論に反対しながら台湾へ派兵することは矛盾があるとして木戸孝允が職を辞して下野しました。
当時、政府が進めた廃藩置県などの改革により士族の政府に対する不満が高まっていました。明治7年(1874年)に征韓論で下野した江藤新平らが不平士族の反乱「佐賀の乱」を起こしました。同年、東京では赤坂喰違坂で岩倉具視が不平士族の武市熊吉らに襲撃される「喰違の変」が起こりました。下野していた板垣退助は愛国公党を結成し自由民権運動を展開していました。さらに左大臣の島津久光が保守的な改革反対の建議書を提出するなど政局は混乱の一途をたどりました。
【参考】「佐賀の乱」勃発(1874年2月1日)|明治政府に対する士族の反乱
このような不安定な政情にあって、政府の弱体化を危惧した前大蔵大輔の井上馨と参議の伊藤博文は久保利通と木戸孝允と板垣退助の3人が協調する必要があると考え三者による会議を開くよう画策と仲介を始めました。
井上馨と伊藤博文は大久保利通を説得して下野した木戸孝允と板垣退助を政府に復帰させようと考えていましたが一度に一同が集まると紛糾すると考え個別の会談を開きました。明治8年(1875年)1月22日には木戸孝允と板垣退助の会談が行われ、同月29日には大久保利通と木戸孝允の会談が行われました。当初は三者三様の考えがまとまりそうにありませんでしたが政局を安定させる必要があると考えていた大久保利通が柔軟な姿勢を見せたことから三者の考えが一致しました。
同年2月11日、木戸孝允が大久保利通と板垣退助を招待するという形で井上馨と伊藤博文の同席のもと北浜の料亭「加賀伊」で三者会議「大阪会議」が行われました。この会議に至る前に政治の方向性は決まっていたため、「大阪会議」では政治の話はせず歓談のみの酒席となったと伝えられています。
この一連の会議により木戸孝允と板垣退助は同年3月から政府に復帰することなり、政府は立憲政治に向けて改革を進めることになりました。同年4月14日に明治天皇より「漸次立憲政体樹立の詔書」が発せられ、三権分立のため立法機関として元老院、司法機関として大審院、地方自治よる行政の確立をめざすため地方官会議が開かれることになりました。
しかしながら木戸孝允と板垣退助が対立するようになると板垣退助は参議を辞任しました。また木戸孝允も板垣退助が下野したことや自身の持病により政府内の立場が弱まりました。また板垣退助と協調していた島津久光が主張が認められないという理由で辞表を提出しますた。結果として、政府は大久保利通と岩倉具視が実権を握る体制に戻りました。大阪会議の体制は半年で崩壊してしまいましたが、立憲政体や議会政治への移行など日本政治の近代化に向けた重要な一歩を印すことになりました。
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