蛭子末次郎考案の開拓使旗「北辰旗」制定される(明治5年 1872年2月15日)
明治2年(1869年)に開拓使が設置され北海道開拓が始まりました。広大な北海道は陸路が整備されていませんでした。陸路を整備するには多大な費用と時間がかかるため当初は本州と北海道各地を結ぶ海運の充実が必要不可欠でした。そこで開拓使は多数の外国形輸送船を購入し海運による輸送を整備しました。
明治3年(1870年)1月27日、太政官は「郵船商船規則」を布告し、異国船と見分けることができるようにするため外国形輸送船に国旗と省府藩旗を掲揚することを義務づけました。この布告を受けて当時開拓使の事実上のトップで開拓次官を務めていた黒田清隆は蛭子末次郎(えびこすえじろう)に開拓使の旗を考案するよう命じました。
蛭子末次郎は天保13年(1842年)12月27日に箱館に生まれました。蘭学者の武田斐三郎が教授を務める諸術調所で武田の門下生となり航海術を学び航海士となりました。箱館奉行所の航海で測量方を務め文久元年(1861年)には「亀田丸」で武田とニコライエフスクを訪れています。
明治5年(1872年)1月、末次郎は開拓使御用掛となり「樺戸丸」船長を努めました。清隆から開拓使旗の考案を頼まれた末次郎は青色の地に北辰星(北極星)を象った五稜星の旗章「北辰旗」を提案しました。
末次郎が北辰星を採用したのは航海士だったからでしょう。北辰星は航海において測量の基本となる重要な星でした。加えて末次郎は五稜郭を設計した武田の門下生でしたから五稜郭も念頭においたと考えられます。また北海道開拓を指導した外国人の多くはアメリカ人でしたからアメリカの国旗も意識していたかもしれません。
清隆は末次郎の考案した北辰旗を採用し明治5年(1872年)2月15日に、開拓使所属の船舶の旗章を青色の五稜形とする旨を大蔵省と外務省に通達しています。公認されると開拓使は「安渡丸」「辛未丸」「石明丸」をはじめとする輸送船に北辰旗を掲げるようになりました。この北辰旗は開拓使の建造物や開発した商品にも採用されました。明治9年(1876年)9月23日に創業した開拓使麦酒醸造所でも使用され、現在までサッポロビールのロゴマークとして引き継がれています。
【参考】村橋久成と中川清兵衛|開拓使麦酒醸造所が開業(1876年9月23日)
同年9月19日、清隆は開拓使旗を五稜形から七稜形に変更する申し出をしています。しかし開拓使旗を決めてから半年しか経過していないことを理由に却下されました。
黒田清隆が七稜形の開拓使旗に変更しようとした理由は定かではありません。箱館に設置されていた北海道初の警察機関「開拓使函館邏卒」の徽章に七稜星でしたからこれに合わせようとしたのかもしれません。また榎本武揚が特赦により出獄し開拓使に仕官したのは五稜形の開拓使旗が制定された直後の3月6日です。黒田清隆は榎本武揚との会話から七稜星に変更した方が良いと考えたのかもしれません。
昭和42年(1967)年5月1日に北海道旗が制定されています。北海道旗のデザインは公募されたものから選ばれたものですが、北辰旗の五稜星を現代的なものとし七光星として表現したものです。北海道の開拓者精神と雄々しく伸びる北海道の未来を表現したものとされています。デザインは清隆が提案した七稜星をベースにしており、紺色の下地は北海道の海と空を表し、七稜星の赤色は道民の不屈な精神を表し、その周りの白色は光輝と風雪を表しています。
さて北辰旗をデザインした末次郎は明治5年(1872年)4月に青函航路の「弘明丸」船長に就任しています。明治8年(1875年)には「箱館丸」船長となり同年8月に榎本武揚と樺太・千島交換条約の調印のためペテルブルク(サンクトペテルブルグ)に巡航しています。明治9年(1876年)には清隆が特命全権弁理大臣を命ぜられると朝鮮・江華府へ巡航しています。
【参考】箱館奉行が建造した洋式帆船スクーナー「箱館丸」
明治10年(1877年)2月には「矯龍丸」船長となり西南戦争に参戦する清隆を乗せて九州に巡航しています。その後は「玄武丸」船長となり明治14年(1881年)8月の明治天皇の北海道行幸せ運漕事務をつかさどりました。
明治15年(1882年)2月、農商務省御用掛に任ぜられました。その後は逓信省司検官となり東京と箱館で勤務しました。明治31年(1898年)4月に逓信技師となりました。明治34年(1901年)3月に退官し大正元年(1912年)に享年69歳で死去しました。蛯子末次郎は函館大経・深瀬鴻堂と共に「函館三士」と称されています。
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