江戸幕府が蝦夷奉行を設置(享和2年 1802年2月23日)
江戸時代、蝦夷地は松前藩が支配をしていましたがあまりにも広大なため統治することはできませんでした。蝦夷地のほとんどは未開地であったことから松前藩の財政は石高を基本とする幕藩体制とは異なりアイヌとの交易によるものでした。このような状況から江戸幕府は問題を抱えながらも蝦夷地の統治は松前藩に任せていました。
寛政4年(1792年)、ロシアの遣日使節アダム・グラスマンが救出した日本人漂流民の大黒屋光太夫を日本に送り届ける目的で根室に来航しました。光太夫からロシアの南下政策を知らされ北方情勢が緊迫していることを認識した江戸幕府は北方防衛の強化を意識するようになりました。寛政11年(1779年)、江戸幕府は北方警護を強めるため松前藩の領地であった箱館を含む太平洋沿岸および千島列島の東蝦夷地を仮上知し直轄地としました
【参考】大黒屋光太夫がロシア女帝エカテリーナ2世の茶会に招待される|紅茶の日(11月1日)
享和2年(1802年)2月23日、江戸幕府は箱館に蝦夷奉行を設置し、戸川安論および羽太正養の2名を奉行に免じました。箱館奉行は遠国奉行である長崎奉行に準ずる格式とされました。同年5月、蝦夷奉行は箱館奉行と改称されました。両奉行は享和3年(1802年)より1年交代で箱館に駐在することになり最初に安論が赴任しました。文化元年(1804年)、現在の元町公園にあった道南十二館のひとつで河野政通が築いた宇須岸館(河野館または箱館)の跡地に奉行所が開かれました。
【参考】(旧)箱館奉行所跡の碑
文化元年前後(1804年前後)に斜里山道(斜里越)を改修・開削した八王子千人隊千人頭原胤敦が文化2年(1805年)2月から文化5年(1808年)まで箱館奉行支配調役に任ぜられた。
文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシアの使節が日本の北方拠点を攻撃する文化露寇の事件が起きると、江戸幕府は国防体制を強化し、蝦夷地の和人地、西蝦夷地(日本海沿岸、オホーツク沿岸、樺太)を上知しました。箱館奉行を松前奉行と改め奉行所を松前に移転しました。文化6年(1809年)、樺太は西蝦夷地から分離され北蝦夷地に改称されました。ロシアの脅威が収まると文政4年(1821年)に和人地及び全蝦夷地を松前藩に返還され松前奉行は廃止されました。
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