開拓使廃止で三県一局時代に(明治15年1882年2月8日)
開拓使は戊辰戦争後の明治2年(1869年)7月8日に北方開拓のために設置された官庁です。開拓使が設置される前は蝦夷地の行政は箱館府が担当していましたが箱館は蝦夷地南部のため中央部に本庁を設けることになりました。同年8月には蝦夷地は北海道と改められました。
明治3年(1870年)には樺太開拓使が設置されると開拓次官に就任した黒田清隆が樺太を視察しました。清隆は樺太の状況を見て3年持たないと判断し、国力を高めるため北海道開拓に集中するべきと建議しました。
明治4年(1871年)8月19日、明治政府は総額1千万円の開拓使十年計画を決定しました。明治5年(1872年)に開拓使長官に就任した清隆のもとで北海道開拓が進められることになりました。
開拓使は開拓使十年計画の満期を迎える明治15年(1882年)に廃止されることが決まっていました。同年2月8日に開拓使は計画通りに廃しされ、開拓使の札幌本庁、箱館支庁、根室支庁は廃藩置県後の行政区域にあわせて札幌県、箱館県、根室県となりました。また農商務省の一部局として北海道事業管理局が設置され、北海道の行政は三県一局時代となりました。開拓使が進めていた事業は地方で進めるか国家として進めるかによって3県と北海道事業管理局に引き継がれました。北海道の行政は近代的なものとなりましたが、人口が少なかったため3県に議会が設置されたり郡制がしかれることはありませんでした。
北海道ではその後も10年以上にわたり開拓が進められましたが札幌県・箱館県・根室県。北海道事業管理局の足並みは揃いませんでした。また北海道の人口は未だに開拓の原点となった箱館県に集中しており、未開拓地が広がる根室県の人口は伸びませんでした。さらに日本経済は西南戦争による戦費調達によるインフレを改善しようとした大蔵卿松方正義によるデフレ誘導政策の松方財政により不況に陥っていました。こうした事情により北海道の開拓は停滞しました。
明治18年(1885年)、参議の伊藤博文は太政官大書記官の金子堅太郎を北海道に派遣し各県の視察を命じました。堅太郎は博文に3県体制が機能していないことを報告しました。その結果、明治政府は明治19年(1886年)1月26日、札幌県・箱館県・根室県の3県および北海道事業管理局を統廃合し北海道庁を設立しました。箱館県は箱館支庁、根室県は根室支庁となりました。これによって北海道の行政の三県一局時代は終焉したのです。
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