薩長同盟の六箇条(慶応2年1866年1月21日)
慶応2年(1866年)1月21日、薩摩藩が近衛家から借りて小松帯刀が使用していた京都の近衛家別邸御花畑屋敷において薩長同盟が締結されました。近衛家別邸御花畑御屋敷跡には薩長同盟締結の地の記念碑が立てられています。
近衛家別邸御花畑御屋敷は現存しえおらず薩長同盟締結の地の記念碑は屋敷のあった道端にひっそりと建てられています。
慶応2年(1866年)1月8日、近衛家別邸御花畑屋敷において西郷隆盛と桂小五郎の会談が行われましたが交渉は難航し薩長同盟の締結は困難な状態にありました。このとき坂本龍馬は下関に出かけており同席していませんでした。後日、下関から戻った坂本龍馬は薩長同盟の交渉が暗礁に乗り上げていることを知り桂小五郎にその理由を確認しました。桂小五郎は薩摩藩に頭を下げて譲歩することはこれ以上できないと表明しました。慶応2年(1866年)1月21日、西郷隆盛と小松帯刀は長州に戻ろうとしていた桂小五郎を呼び止め六箇条の条文を提示しました。桂小五郎はその場で条文の内容を確認し薩長同盟の締結を了承しました。このときの出席者は同盟を仲介した坂本龍馬、薩摩藩の西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通・島津伊勢・桂久武・吉井友実・奈良原繁、長州藩の桂小五郎・品川弥次郎・三好軍太郎でした。
薩摩藩から出された六箇条の条文とは会談の内容そのものでありその記録は残っていませんが、後日に桂小五郎が記憶を頼りに書き留めたものです。桂小五郎が書き留めた六箇条は次の通りです。
一、戦ひと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事
(戦いが始まったら直ちに2千余りの兵を急いで送り現在京にいる兵と合流させます。大阪にも1千の兵を配置し京都と大阪の両方を守を固めること)
一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事
(戦いに勝てそうと有利な兆しが見えたときは朝廷に働きかけて講和を成立させること)
一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事
(万一、戦いに負けそうでも1年や半年で決着がつくことはなく、その間も全力で戦うこと)
一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事
(もし幕府の兵が東に帰還した際には、直ちに朝廷に訴え速やかに冤罪を晴らすよう全力で尽力すること)
一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事
(橋会桑等が現在のような状況で朝廷を利用して正義に従わず調停を妨害した時は決戦に及ばざるを得ないこと)
一、冤罪も御免の上は双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可しとの事
(冤罪が晴れた後は双方が誠意を持って協力し皇国の皇威の回復を目指して全力を尽くすこと)
桂小五郎はこの書き留めた六箇条に誤りがないかどうかを慶応2年1月23日付の書簡で坂本竜馬に確認を依頼しています。坂本龍馬は2月5日付で書簡に「表に御記成被候六条は小西両氏及老兄龍等も御同席にて談論せし所にて毛も相違これ無き候、後来といへとも決して変り候事はこれ無きは神明の知る所に御座候」と朱書きした返書を送り会談の内容に相違ないことを伝えています。
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