兵庫港が開港|神戸開港記念日(1867年12月7日)
安政5年(1858年)の日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約により兵庫港が文久2年12月7日(1863年1月1日)に開港されることになりました。しかしながら、この条約は天皇の勅許を得ないままで締結したことから、朝廷がこれに反対しました。和親条約に理解を示していた孝明天皇も通商条約には反対の立場をとり京都に近い兵庫の開港を拒否しました。
安政五カ国条約では江戸と大阪の開市、新潟・兵庫を開港することになっていました。しかし、幕末の日本の政治と経済は混乱を極めており、期限内に安政五カ国条約を履行することは不可能と考えた江戸幕府は文久元年(1862年)に文久遣欧使節を欧州に派遣しました。使節はサー・ラザフォード・オールコック駐日英国公使の協力を得てイギリスと「ロンドン覚書」を調印したうえで諸外国と交渉し期限を5年間延長し慶応3年(1867年)12月7日(1868年1月1日)にすることができました。
【参考】文久遣欧使節がイギリスとロンドン覚書を調印(1862年5月9日)
幕府は朝廷と公武合体を進めましたが、その見返りに孝明天皇は幕府に対して攘夷を求めました。列強に対して武力で攘夷を実行するのは不可能と考えた幕府は外交交渉により開港していた横浜港を閉港することを決めました。文久3年(1863年)12月(1864年2月)に池田長発を正使、河津祐邦を副使、河田熙を目付とした横浜鎖港談判使節団をフランスに派遣しました。しかしながら交渉はまとまるはずもありませんでした。列強各国は日本の安政五カ国条約履行に疑いをもつようになりました。
攘夷を実行しない幕府に対してしびれを切らした長州藩は馬関海峡(下関海峡、関門海峡)を航行する米国商船を砲撃したことで馬関戦争(下関戦争)が起こりました。長州藩は列強の軍事力に太刀打ちできず敗戦、この戦争により幕政はますます混乱しました。
【参考】攘夷実行に従い長州藩が米国商船を砲撃(1863年5月10日)
イギリスは幕府の混乱に乗じて兵庫港の開港の前倒しをはかり、列強各国と協力し兵庫港に艦隊を派遣し開港を求めました。これに対して孝明天皇も開港を認めざるを得なくなりました。交渉により開港の前倒しは撤回され従前の通り慶応3年(1867年)12月7日(1868年1月1日)に兵庫港が開港されました。
【参考】兵庫開港要求事件(1865年9月13日)
ところで江戸幕府は神戸港のことを兵庫港と呼んでいましたが、大輪田泊や兵庫津と呼ばれた兵庫港が神戸港に含まれるようになったのは明治25年(1892年)です。実は幕末の「兵庫港の開港」は「神戸港の開港」を意味していました。神戸港の開港後も兵庫港は長らく開港されていませんでした。神戸港の発展により兵庫港も神戸港の一部となりました。
【関連記事】
・文久遣欧使節がイギリスとロンドン覚書を調印(1862年5月9日)
・攘夷実行に従い長州藩が米国商船を砲撃(1863年5月10日)
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