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2024年12月19日 (木)

「錦の御旗」はどんな旗?

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 「錦の御旗」(にしきのみはた)は天皇(朝廷)に従う官軍が使用する旗です。錦旗、菊章旗、日月旗とも呼ばれます。赤字の錦に金色の太陽が描かれたものを日之御旗、銀色の月が描かれたものを月之御旗とされています。官軍が朝敵を討伐するときにその正当性を示すために天皇の権威を象徴する旗印として利用します。

 「錦の御旗」が歴史上で初めて使用されたのは承久3年(1221年)の「承久の乱」(じょうきゅうのらん)と伝えられています。「承久の乱」は
貴族政権を率いる後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して起こした戦で、このとき後鳥羽上皇が官軍に「錦の御旗」を授けました。

 「錦の御旗」はもともと定められたものではく様々な形状のものが使われました。文治5年(1189年)の源頼朝の鎌倉政権と奥州藤原氏が東北地方で戦った「奥州合戦」では「伊勢大神宮」「八幡大菩薩」の神号と鳩の意匠が入った旗印が使われました。鎌倉時代後期の元弘元年(1331年)の鎌倉幕府打倒を目指す後醍醐天皇と鎌倉幕府が戦った「笠置山の戦い」では日輪と月輪の意匠が入った旗印が使われています。室町時代いは「伊勢大神宮」「八幡大菩薩」の神号と日輪の意匠が入った旗印が使われるようになり、後に日輪と天照皇太神が入った「錦の御旗」と足利氏の家紋の二つ引両と八幡大菩薩が入った「武家御旗」が用いられるようになりました。

 近代では慶応4年(1868年)正月に「戊辰戦争」の「鳥羽・伏見の戦い」において薩摩藩本営の東寺に掲げられた「錦の御旗」が広く知られています。この「錦の御旗」は慶応3年(1867年)10月6日に公家の岩倉具視が薩摩藩の大久保利通と長州藩の品川弥二郎に授けたものです。岩倉具視の腹心で国学者の玉松真弘(玉松操)の図案をもとに大久保利通が西陣で大和錦と紅白の緞子を織らせ京都薩摩藩邸で「錦の御旗」を作りました。また品川弥二郎も大久保利通が調達した材料を長州に持ち帰り「錦の御旗」を作りました。

 「鳥羽・伏見の戦い」が開戦すると朝廷は朝敵の幕府軍を討伐する征討大将軍の仁和寺宮嘉彰親王に「錦の御旗」と「節刀」を与えました。「錦の御旗」が掲げられると官軍の士気は大いに高まり、その一方で賊軍とされた幕府軍の士気に大きな打撃を与えました。多くの幕府の兵が狼狽して退却したことが伝えられています。

 このとき使用された「錦の御旗」をはじめとする軍旗は陸軍省の遊就館(靖國神社)や宮内省図書寮に保存され、明治21年(1888年)に長州藩士の絵師の浮田可成(うきたかせい)が新政府の依頼で描いたものが「戊辰所用錦旗及軍旗真図」(ぼしんしょようきんきおよびぐんきしんず)全4巻にまとめています。この4巻は国立公文書館デジタルアーカイブの重要文化財(公文書)戊辰所用錦旗及軍旗真図で見ることができます。次の「錦の御旗」は「戊辰所用錦旗及軍旗真図」の1巻に収録されている「赤地大和錦御旗」で日像と天照皇大神の神号が描かれています。

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 慶応4年(1868年)1月11日に起きた備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させたことで銃撃戦に発展した「神戸事件」が起こりました。このとき神戸開港の祝事で寄港してイギリス・アメリカ・オランダ・フランス・イタリアの兵士が武装して神戸に上陸したことで神戸港は占領状態となりました。14日、土佐藩士の本山茂任らがが朝廷の高松・松山両藩の征討の勅と「錦の御旗」を土佐藩に運ぶ途上で「神戸事件」を知らずに通過したところフランス兵に不審尋問されました。意思の疎通が取れずに「錦の御旗」を没収される「錦旗紛失事件」が起こりましたが土佐藩士の中島信行や長州藩士の伊藤博文らの交渉により返却されています。

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