バスケットボールの初試合が行われる(1891年12月21日)
バスケットボールは1891年にカナダ出身の体育教師のジェームズ・ネイスミスによって考案されました。ネイスミスは1887年にケベック州モントリオールのマギル大学を卒業し同大学の体育講師となりました。モントリオールのYMCAに通っていたところ、1891年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州のYMCA訓練校(現スプリングフィールド大学)に入学する機会を得て学生となり非常勤の体育講師となりました。
同年、同大学体育学部長ルーサー・ギューリックは冬季に学生たちが室内で行うことができるスポーツの必要性を感じていたことから授業で新しい室内競技を考案する課題を出してみした。さっそく学生たちから様々なアイデアが出されギューリックは実用的な室内競技がないか確認しました。サッカーやラクビーに似た身体の接触のある室内に不向きな競技のアイデアが多い中でネイスミスのアイデアは中途半端ではありましたが斬新なものでした。そこでギューリックはネイスミスに詳細なルールを検討するよう指示しました。
ネイスミスは新しい球技を自分が学生の頃に体験したラグビー、サッカー、ラクロスを参考にして考案しました。また子どもの頃に友達と遊んだ物を置いて石をぶつけるゲームも参考にしました。ネイスミスが考案した競技は次のような球技でした。
- 選手はボールを持ったまま走ってはいけない
- 身体を接触したり衝突したりしてはいけない
- 選手は他の選手からボールを奪うことができる
- 選手の頭上に設置した水平のゴールにボールを入れると得点となる
この競技はギューリックが求めていた室内競技を満足させるものでした。頭上の高い位置にゴールがあるため得点するには腕力よりも正確さが求められ、身体への接触や衝突も禁止のためゴール前の危険な小競り合いをなくすことができ怪我も少なくできました。ボールを持ったまま走ることができないため、パス以外でボールを運ぶ方法としてドリブルが考案されました。
1891年12月21日、この球技が授業で初めて行われました。このときボールにはサッカーボールが使われ、ゴールには手元にあった桃のバスケットを体育館のバルコニーの下に添え付けました。競技は1チーム9名で行われ、学生のアイデアにより「バスケットボール」と名付けられました。
1892年、ネイスミスが公式ルールを仕上げるとバスケットボールは全米のYMCAで行われるようになりました。また留学生を通じて海外にも広まりました。 バスケットボールは日本に伝わったのは1908年です。日本ではバスケットボールを参考にポートボールという球技も考案されました。
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