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2024年11月21日 (木)

平賀源内が殺傷事件で投獄(1779年11月21日)

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 江戸時代中期に多彩な能力で学問、産業、文化などの様々な分野で活躍した平賀源内。奇抜なアイデアで様々なことに取り組んだ平賀源内は江戸の人気者でした。

平賀源内(1886年、中丸精十郎)
平賀源内(1886年、中丸精十郎)

 オランダ製のエレキテルの紹介や土用の丑の日にウナギを食べる風習の発祥など様々な逸話のある平賀源内ですが、ある大名屋敷の庭の普請を請け負ったことがきっかけで事件を引き起こしてしまいます。

 大名の役人は最初は町人に普請を依頼しましたが町人からの見積もり費用が多額だったことから源内に相談しました。源内は自分が普請すれば費用を大幅に削減できると答えました。源内が普請を請け負うことになりそうになると三者の関係が悪化したことから、普請は源内と町人が共同で請け負うことになりました。和解を祝うため源内の自宅で宴会が執り行われました。

 源内の普請のアイデアは秀逸で話が盛り上がり酒が進みました。宴会は夜まで続き役人が帰宅した後も源内と町人は酒を飲み続けました。やがてすっかり泥酔した2人は眠りについてしまいました。翌日、源内は普請の計画書がなくなっていることに気がつきました。源内は町人が盗んだと主張し町人と口論になりました。怒りが収まらない源内は思わず町人を刀で斬ってしまいました。大けがを負った町人はその場をから何とか逃げ出しました。源内は町人を斬り殺してしまったと考え自害するために身辺整理を始めました。すると普請の計画書が見つかったのです。元和には泥酔しながらも計画書をしまっていたことをすっかり忘れていたのです。もはやこれまでと考えた源内は自害しようとしましたが弟子たちに止められました。源内は罪を償うため自首することにしました。

 源内は安永8年(1779年)11月21日に投獄され同年12月18日に伝馬町の牢内で破傷風にかかり52歳で病死したとされています。自責の念で絶食により餓死したという説もあります。 源内の葬儀は杉田玄白らによって執り行われましたが幕府は葬儀を許さず遺体のない葬儀だったと伝えられています。また源内は逃亡して生き延びたという説もあります。

 なぜ源内が狼藉を働いたのかその理由はわかっていませんが、50歳頃から乱心することが多くなったことが伝えられています。源内が優秀だったのは間違いありませんが、優秀すぎて理解されず他人から信用されない面もありました。そのような中で人が信用できなくなったのかもしれません。また源内は安永8年(1779年)の夏に悪事を働いて死んだ貸金業の家に引っ越ししています。この家は幽霊が出るという噂があったため源内の乱心はその家の祟りによるものという噂も絶えませんでした。多彩な能力で様々なことに取り組み江戸の人々を驚かし続けた平賀源内は最後まで世間を騒がせてその人生の幕を閉じたのです。

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