函館運上所|税関記念日(1872年11月28日)
嘉永7年(1854年)3月3日に締結された日米和親条約により下田と箱館の開港が決まりました。、安政5年(1858年)6月19日に締結された日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約により、下田と箱館に加えて横浜、新潟、神戸、長崎の開港と、江戸と大坂の開市が決まると、諸外国との貿易が始まりました。江戸幕府は安政6年(1859年)に箱館、横浜、長崎に現在の税関の前身となる運上所を設置しました。運用所では輸出入の監督管理、税金の徴収などが行われました。
箱館運上所は現在の北海道函館市大町10-3に存在していました。写真の木造ルネサンス風の洋風建築物は明治44年に新築された函館税関です。
この建物は昭和47年(1972年)に取り壊され、現在この場所には海上自衛隊函館基地隊が設置されています。
海上自衛隊函館基地隊の入り口の右側に函館運上所跡の案内板があります。
函館運上所跡の案内板
案内板には下記が記されています。
これにともない、税関の前身である運上所が設けられた。開港翌年の入港外国船は、商船30隻、捕鯨船21隻、軍艦18隻ノ計64隻であった。
貿易では、輸入はほとんどなく、輸出は中国向けの昆布が4分ノ1を占め、そのほか、いりこ、するめ、干あわびなど海産物が上位をしめていた。
明治2年(1869年)に 箱館が函館に改称されると箱館運上所も函館運上所と改称されました。また明治5年(1872年)11月28日には運上所の呼称が税関に統一されました。これを記念し昭和27年(1952年)に大蔵省(現在の財務省)が11月28日を「税関記念日」と制定しました。
海上自衛隊函館基地隊と函館運上所跡の案内板のある場所(北海道函館市大町10-3)のGoogleマップストリートビューです。近くの元町公園には箱館奉行や諸術調所がありました。
昭和43年(1968年)に海岸町中央埠頭に港湾合同庁舎が完成すると税関も同庁舎に移転しました。
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