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2024年10月10日 (木)

開拓使石狩缶詰所で管詰の製造始まる|缶詰の日(10月10日)

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 フランスのナポレオン一世(ナポレオン・ボナパルト)は軍隊が長期間遠征するときの食料の保存方法について広くアイデアを募集しました。1804年、フランスの食品加工業者ニコラ・アペールは瓶に調理した食品を詰めコルクでゆるめに栓をし湯煎により瓶内の空気を除いた後にコルク栓を密封する「瓶詰」を考案しました。フランス政府はアペールの発明に賞金を与えました。このことからアペールは食品の容器保存の祖とされています。

ニコラ・アペール
ニコラ・アペール

 瓶詰の発明により長期間の遠征時の食品の保存方法は一定の成果が得られましたが、ガラス瓶は破損しやく重量がかさむため大量の食糧の運搬には難がありました。1810年、イギリス商人ピーター・デュランドはガラス瓶の代わりにブリキ製の缶に食品を入れる「缶詰」を発明しました。「缶詰」は長期保存が可能でガラス瓶に比べて軽いため「瓶詰」の代わりに利用されるようになりました。ただし初期のものは殺菌が十分ではなく中身が発酵して破裂したり、半田に含まれる鉛による中毒の被害が出たりしました。1812年にはデュランドの特許を基に世界初の缶詰工場がイギリスで建設されました。

ピーター・デュランド
ピーター・デュランド

 「缶詰」の難点は「どのようにして開けるか」でした。現在のような缶切りがなかったからです。金槌、のみ、斧、銃剣などが開封に使われました。兵士の中には銃で撃って開封したものも多数いました。そのため「缶詰」は液体の保存容器として使うことができませんでした。1858年、アメリカ合衆国のエズラ・J・ワーナーが世界初の缶切りを発明し、これによって「缶詰」に様々なものを入れられるようになりました。

 日本で初めて「缶詰」が製造されたのは明治4年(1871年)です。長崎の実業家の松田雅典が広運館でフランス領事デュリーに缶詰製造技術を学びイワシ油漬の缶詰を試作したと伝えられています。雅典は長崎県缶詰試験所の設立に尽力し松田缶詰製造所を開業しました。

 日本で本格的な「缶詰」の製造が始まったのは北海道です。戊辰戦争後、明治政府は開拓使を設置しました。開拓使長官に就任した黒田清隆は北海道における産業の育成に力を入れ「札幌麦酒醸造所(サッポロビール)」「札幌味噌醤油醸造所」「真駒内牧牛場」など多くの官営事業を開始しました。

黒田清隆
黒田清隆

 官営事業の中で明治10年(1877年)10月10日に創業されたのが「石狩缶詰所」です。缶詰工場は各地に作られましたが日本で初めて本格的な設備で製缶を始めたのが「石狩缶詰所」です。アメリカ合衆国の技師U.S.トリートと助手W.S.スウェットの指導のもとでサケ缶が製造されました。このことから日本缶詰協会は10月10日を「缶詰の日」と制定しました。

開拓使石狩缶詰所
開拓使石狩缶詰所(北海道大学附属図書)

 明治15年(1882年)に開拓使が廃止さると「石狩缶詰所」は農務省管轄となりました。明治19年(1886年)に官営事業が終了、明治20 年(1887年)に民間に払い下げられました。石狩での缶詰製造は明が治45年(1912年)まで行われました。

 開拓使は数多くの事業を手がけましたが今日まで現存し続しているのは札幌麦酒醸造所の後身となった「サッポロビール」と札幌農学校の後身となった「北海道大学」のみです。

 

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