幕末の混乱期に大地震|安政江戸地震(1855年10月2日)
安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時頃、関東の南部でM7を超える大地震が発生しました。この地震は「安政の大地震」とも呼ばれますが同時期に多発した他の地震と区別するには正式な名称の「安政江戸地震」と呼んだ方が良いでしょう。
「安政江戸地震」は江戸を中心に大きな被害をもたらし、特に隅田川の東側地域で震度6を超える強い揺れが発生したと推定されています。江戸の下町や深川や浅草などの被害は甚大であり、多くの家屋が倒壊しました。また火災が発生したことにより被害がさらに拡大しました。調査によって江戸の町の死者は約4700人とされていますが周辺地域を合わせると1万人にのぼると考えられます。また東北地方から東海地方にかけて広い範囲で震度4を超える揺れが発生した地域もあります。次の図は瓦版(読売)に掲載された安政の大地震絵図です。肥大側に被害の様子が描かれ、右側に被災者救済場所や各地の被害情況を記載されています。
前年の嘉永7年(1854年)にはアメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が黒船で再来航し日米和親条約が締結されました。これによって国内では開港が攘夷かで意見が対立し幕政の混乱が始まりました。
第9代藩主徳川斉昭は水戸学をもとに尊王攘夷の考え推し進めましたが、安政江戸地震で小石川の水戸藩藩邸が倒壊し斉昭の重臣の戸田忠太夫、藤田東湖が死亡しています。重臣を失った水戸藩では内部抗争が生じ後に水戸藩を脱藩した浪士たちが安政7年3月3日(1860年3月24日)の「桜田門外の変」を引き起こすことになります。尊王攘夷運動は倒幕運動へとつながっていきます。
幕末の混乱期に発生した「安政江戸地震」は江戸の人々にとって大きな影響を与えました。幕政が混乱する中で江戸の町は復興し後の明治維新へとつながる歴史の1ページとして刻まれました。
安政7年3月19日(1860年4月8日)、黒船来航以来で国内が混乱する中で「江戸城火災」「桜田門外の変」など災異(凶事)が続いたため第121代天皇の孝明天皇の強い意向で元号が万延に改元が行われました。このときの江戸幕府の将軍は第14代の徳川家茂です。
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