榎本武揚ら旧幕府軍が五稜郭に入城(1868年10月26日)
慶応4年 (1868年)10月26日は榎本武揚が率いる旧幕府軍が箱館の五稜郭に入城した日です。
同年4月11日に江戸城が無血開城すると海軍副総裁の榎本武揚は北方の開拓と防備を行う目的で多くの旧幕臣を率いて蝦夷地に向かうことを決意しました。
同年7月、東北戦争で劣勢となった奥羽越列藩同盟からの支援要請があり、同年8月20日、榎本武揚は開陽丸を旗艦とするいわゆる榎本艦隊を率いて品川沖から脱走し仙台に向かいました。
榎本艦隊は同年9月中旬には仙台東名浜沖に集結しましたが、すでに東北戦争は終結していました。ここで大鳥圭介や土方歳三など東北戦争を戦った旧幕臣が合流しました。同年10月18日、榎本艦隊は宮古湾を出向し蝦夷地の箱館へと向かいました。
蝦夷地は古くから松前藩が支配していましたが、幕末になると幕府は松前藩領を除く蝦夷地を直轄領とし五稜郭を築城し箱館奉行を設置しました。明治維新後は新政府は箱館奉行を箱館府としました。
東北戦争の影響でわずかな兵しか配備されていなかった箱館府は旧幕府軍の来襲に備えるため新政府に援軍を要請しました。弘前藩、福山藩、大野藩の兵が派遣され旧幕府軍を迎え撃つことになりました。 旧幕府軍は台場の設置されている箱館港からの上陸は避け箱館から約45キロメートル北の内浦湾に面する鷲ノ木(茅部郡森町)を上陸地点としました。同年10月21日に旧幕府軍の約3,000名が上陸しました。
旧幕府軍は大鳥圭介の部隊と土方歳三の部隊に分け、大鳥の部隊は峠下・七重方面から土方の部隊は部・川汲峠を経由し湯の川方面から箱館に進軍しました。一方で無血開城させるため箱館府知事の清水谷公考に人見勝太郎・本多幸七郎らの部隊を使者として派遣しましたが道中で新政府軍の襲撃を受け戦闘が始まりました。大鳥、土方の部隊はそれぞれ新政府軍を撃退すると、清水谷公考は五稜郭と箱館府を放棄することを決断し同年10月25日に青森へ撤退しました。
同年10月26日、旧幕府軍は五稜郭へ入城、榎本艦隊が箱館港に入港しました。旧幕府軍は鷲ノ木上陸からわずか5日間で箱館を占領しました。同年12月15日、旧幕府軍は箱館政権を樹立。総裁は入れ札(選挙)によって榎本武揚となりました。
【参考】榎本武揚らが日本初の公選入札を行う(1868年12月15日)
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