明治天皇の1度目の東京行幸(1868年10月13日)
慶応4年4月11日(1868年5月3日)、江戸城が開城すると、新政府は同年5月12日(同年7月1日)に江戸府を設置しました。同年7月17日(同年「年9月3日)、新政府は明治天皇の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を公示し、天皇が江戸の地で政務を執ることと江戸を東京と改称することを国民に伝えました。同年9月8日、元号が明治に改元されました。
明治天皇は同年10月13日(同年11月26日)の1度目の東京行幸(とうきょうぎょうこう、当時はとうけいぎょうこう)で江戸城に入り東京城としました。
長らく日本の首都は京都に置かれていたため江戸の民衆は天皇は身近な存在ではありませんでした。新政府は民衆に天皇に親しんでもらうため同年11月4日(同年12月17日)に「天杯頂戴」を行い東京の各町に2553樽の酒と瓶子を配布しました。同年11月6日と7日(同年12月19日と20日)は休日となり山車や屋台が出てお祭り行事となりました。諸外国は徳川家による政府が廃止され天皇が最高権力に復権した「みかど政府」を日本の政府と正式に認めました。
明治天皇は年末に京都に戻り明治2年3月28日(新暦1869年5月9日)に2度目の東京行幸で東京城に入りました。これによって東京奠都(とうきょうてんと)となり東京は事実上の日本の首都となりました。
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