日本初の映画会社・日本活動冩眞株式會社設立(1912年9月10日)
日本で初めて映画が上映されたのは明治29年(1896年)です。この映画は現在のようにスクリーンに映写するものではなくエジソンが発明したキネトスコープによるものでした。リュミエール兄弟が発明したスクリーンに映写するタイプのシネマトグラフによる映画が日本で上映されたのは明治30年(1897年)です。
日本でシネマトグラフの興業を行ったのは実業家の稲畑勝太郎です。稲畑は1877年に15歳でフランスのマルチニエール工業学校に留学しそこで染色技術を学びリヨン大学に進学しました。帰国後は西洋の染色技術の普及を行い国内の占染織事業の発展に貢献しました。
明治29年(1896年)、勝太郎は織物の毛斯綸(モスリン)の仕事でフランスを訪れた際に留学生時代の知人オーギュスト・リュミエールに再会しました。このとき勝太郎はリュミエール兄弟のシネマトグラフに魅力を感じ装置2台とフィルムと興行権を購入しました。
勝太郎は明治30年(1897年)にリュミエール社の撮影技師兼映写技師コンスタン・ジレルを連れて帰国し2月に大阪の南地演舞場で初のシネマトグラフの有料の上映会を行いました。これが日本初の映画の興行です。しかし、勝太郎は映画の上映の費用が予想以上にかかることから知人の横田万寿之助・横田永之助兄弟に興行権を譲りました。
映画は大衆娯楽として広まり1890年代の終わりには日本製の映画が制作されるようになりました。日本初の本格的な映画館は1903年に吉沢商店によって浅草で開かれた電気館です。1906年には梅屋庄吉がフランスのパテー社の映画を入手しM・パテー活動写真商会を設立し京橋区の「新富座」で上演を行いました。1910年には田畑健造が東京の日本橋で福宝堂を設立し都内に8つの福宝館という映画館を開きました。映画は国民の娯楽にも国の情宣活動にも広く使われるようになりました。
1912年3月、横田商会の横田栄之助は政府の要請により資本金1,000万円で横田商会、吉沢商店、福宝堂、M・パテー商会を合併し「日本活動フィルム株式會社」を創立しました。この会社が「活フイ」と呼ばれたため「フイ」は良くないということ同年9月10日に「日本活動冩眞株式會社」(略称:日活)とし日本初の映画会社が設立されました。
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