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2024年9月 9日 (月)

そのとき競輪場で何が起きたのか|鳴尾事件(1950年9月9日)

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 かつて兵庫県西宮市に存在した甲子園競輪場。甲子園競輪場は昭和24年(1949年)に兵庫県武庫郡鳴尾村(むこぐん なるおむら)に鳴尾競輪場として開設されました。兵庫県営第1回鳴尾競輪は同年6月28日に開催されました。兵庫県西宮市枝川町9−7に「鳴尾競馬場跡記念碑」があります。 昭和25年(1950年)9月9日、鳴海競馬場で発生したのが鳴尾事件です。いったい何が起こったのでしょうか。

 同年9月3日、関西を直撃した台風によって鳴尾競輪場大きな被害が出ました。開催が危ぶまれましたが収益の全てを災害復興に充当するという名目で災害救援レースが開催されました。

 同年9月9日の第11レース(発送16時50分)において走行中の本命選手の自転車のクランプピンが緩み選手はコースを外れてピンを締め直してレースに復帰しました。この選手はレースをやり直したいと申し出ましたが認められずレースはそのまま続行となり万車券となりました。

 レース中に観客からやり直しを求める怒号があがりレース結果が発表されると一部の観客が走路に出て警察官と押し問答になりました。このとき審査結果がアナウンスされ、原因は選手の手落ちで1ヶ月の謹慎処分にすることが伝えられました。さらに第12レースの車券の販売開始のアナウンスが流れると納得のいかない500名ほどの観客が大声で叫びながら金網を破って走路に侵入しました。レースの続行は不可能と判断され第12レースは開催中止となり車券も払い戻されることになりました。

 しかしながら事態は収まらず多くの観客が暴徒化し待機していた消防車からガソリンを抜いて競輪場の施設に放火しました。また投石により車券売り場の窓ガラスを破壊し内部に侵入し金庫に押しかけました。現金強奪を避けるため現場にいたわずかな警察官が威嚇射撃を行ったところ観客1名が流れ弾で死亡したことから場内は大騒ぎになりました。その後、600名の警察官と若干名のアメリカ陸軍MPが現場に駆けつけ催涙弾を使って暴徒化した観客の一部を逮捕しました。事件が鎮圧されたのは午後8時でしたが、正門付近で納得のいかない観客が暴徒化する恐れがあったため多くの逮捕者が出ました。

 この事件により競輪のイメージが悪くなり、世論では競輪廃止の声が高まりました。当時の吉田茂首相は閣僚と競輪廃止の方針を確認し全国一斉で競輪の2ヶ月間の開催自粛を決定しましたが最終的には競輪は廃止しないことになりました。その後、11月に再開されましたが競輪廃止の声は収まることがありませんでした。様々な改革を行うことで競輪は継続することになり、鳴海競馬場も名称が甲子園競馬場と変更になりました。また競輪は「けいわ」「きょうりん」と呼ばれていましたが「狂輪」「恐輪」と揶揄されたため「けいりん」と呼ばれるようになりました。

 この事件をきっかけとして競輪や競馬などを社会悪と見られるようになり、競輪・競馬の開催は土日に限定されるようになりました。

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