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2024年9月 2日 (月)

シーランド公国が建国を宣言(1967年9月2日)

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 第二次世界大戦中、イギリスは沿岸警備の目的で海上要塞や海上トーチカを建設しました。これらの要塞は設計者のガイ・マンセルの名に因みマンセル要塞と名付けられました。

イギリス海軍のマンセル要塞 イギリス陸軍のマンセル要塞
イギリス海軍(左)と陸軍(右)のマンセル要塞

 このうち最北端の防衛拠点として北海洋上のイギリス沖10 kmの地点に存在する砂堆ラフ・サンズに建造されたのがフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower)でした。フォート・ラフスはラフ・サンズに2本の大きな柱をもつ構造物を沈めたものです。海上に出た部分に砲台や常駐する兵隊の居住区が配置されていました。フォート・ラフスには数百人のイギリス海軍兵が駐留していましたが第二次世界対戦が終了するとその役割を終え1956年に要塞は無人となり放棄されました。

 元イギリス陸軍少佐のパディ・ロイ・ベイツは海賊放送局「ラジオ・エセックス 」を運用していたためイギリス放送法違反で起訴されました。1966年、ロイ・ベイツは「ラジオ・キャロライン」を運営していたロナン・オライリーとフォート・ラフスに上陸し占領しました。やがてロイ・ベイツとオライリーは仲違いとなりフォート・プラスはロイ・ベイツの管理下になりました。1967年9月2日、ロイ・ベイツは要塞フォート・ラフスを「シーランド」と名付け自信を「シーランドの公、ロイ公殿下」として独立宣言を行い「シーランド公国」を建国しました。

シーランド公国
シーランド公国

 これに反発したオライリーはフォート・プラスを襲撃しましたが、ロイ・ベイツは武器を使って襲撃を阻止しました。武器を使用した理由でイギリス政府は海兵隊をフォート・プラスに派遣し降伏を勧告しましたがロイ・ベイツの息子のマイケル・ベイツが警告射撃を行いました。これによって2人は海兵隊に逮捕され裁判にかけられました。1968年11月25日、裁判所はシーランドが存在する場所はイギリス領海外であり、これまで領有を主張していないことからイギリスの司法は及ばないという判決を出しました。ロイ・ベイツはこの判決によって「シーランド広国」が事実上承認されたと見なし1975年に憲法・国旗・国歌などを公表しました。

 1978年、ロイ・ベイツは「シーランド公国」でカジノを運営するため西ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハを首相にしました。ところがアッヘンバッハが傭兵を雇ってクーデターを起しロイ・ベイツは追放されてしまいました。ロイ・ベイツはフォート・プラスを急襲し奪還し、「シーランド公国」を守備するためシーランド騎士団を結成しました。ロイ・ベイツはクーデターに参加した傭兵は外国人だとして解放しましたが、アッヘンバッハは「シーランド公国」の国民であることから反逆罪で投獄され罰金を科せされました。

 西ドイツ政府はイギリス政府にアッヘンバッハの救出と解放を要請しました。イギリス政府は「シーランド公国」がイギリス領海外の判決があることから西ドイツの要請を断りました。西ドイツはロンドン大使館に駐在していた外交官を「シーランド公国」に派遣し交渉を行うことにしました。ロイ・ベイツは西ドイツから正式に外交官が派遣されたことを「シーランド公国」が国として認められたと喜びアッヘンバッハの罪を許しました。解放されたアッヘンバッハは仲間とともにシーランド公国亡命政府を樹立しています。

 2006年、「シーランド公国」となったフォート・ラフスは発電機から発生した火災で半焼しましたが、ロイ・ベイツが資材を投じて復旧させています。2012年にも発電機から出火し大きな被害を出しましたが「シーランド公国」は継続しています。2012年10月9日、ロイ・ベーツ公が91歳で死去すると同日マイケル・ベーツが2代目シーランド公国公に即位しました。

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