« 古文書にみる榎本武揚 〔思想と生涯〕 | トップページ | オスマン帝国のエルトゥールル号遭難事件(1890年9月16日) »

2024年9月15日 (日)

幕府が「大船建造の禁」を解禁(1853年9月15日)

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 慶長14年(1609年)9月、江戸幕府は西国の大名らが所有する水軍力を抑止するため500石積以上の軍船と商船を没収しました。ただし500石積以上でも外洋を航行する目的の朱印船は除外されました。

 寛永12(1635年)6月、江戸幕府は武家諸法度を改定し全国の大名に対して500石積以上の大型船の建造禁止令を出しました。この禁止令では商船は除かれていましたが対象となる船種が明確ではありませんでした。そこで寛永15年(1638年)に制限対象を軍船とすることが明記されました。 大船建造はその後も見直され武家諸法度は何度も改正されました。商船は内航船の弁才船が広く使われるようになりました。

弁才船(1860年頃)
弁才船(1860年頃)

 江戸時代後期に日本沿岸に異国船が現れるようになりましたが、幕府や諸藩が所有していて船舶では対応することができませんでした。このような状況の中、大船建造の必要性の声が高まり「大船建造の禁」の撤廃が求められるようになりました。

 嘉永6年(1853年)6月にアメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が艦隊を率いて来航しました。この黒船来航により幕府も大型軍艦の必要性を認識し「安政の改革」の中で同年年9月15日に「大船建造の禁」を解禁しました。嘉永7年(1854年)、幕府は浦賀に造船所を開き浦賀奉行に「鳳凰丸」を建造させました。これにより幕府や諸藩が西洋式の軍艦を建造し所有するようになりました。

 海運は弁才船が主流となっていましたが文久元年(1861年)には商人なども西洋式の大型商船を所有できるようになりました。しかし、「安政の大獄」や「桜田門外の変」から幕政の混乱が始まり商業の発展どころではなくなりました。

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| |

« 古文書にみる榎本武揚 〔思想と生涯〕 | トップページ | オスマン帝国のエルトゥールル号遭難事件(1890年9月16日) »

今日は何の日」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

幕末・明治」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 古文書にみる榎本武揚 〔思想と生涯〕 | トップページ | オスマン帝国のエルトゥールル号遭難事件(1890年9月16日) »