リョコウバトが絶命(1914年9月1日)
かつて北アメリカ大陸東岸には鳥類の中で最も多くの数がいたとされるリョウコウバト(旅行鳩、passenger pigeon、学名:Ectopistes migratorius)という鳥が生息していました。リョウコウバトはハト目ハト科リョコウバト属でハトの仲間です。18世紀頃には約50億羽が生息していたと考えられています。
リョウコバトは全長が40センチメートルでカワラバト(ドバト)よりひと回り大きな体型をしています。名前の通り渡り鳥で夏はニューヨークや五大湖周辺に生息し冬になると南下してメキシコ沿岸で越冬しました。飛行速度が速く時速96キロメートルで飛ぶことができました。何億羽からなる群れで飛ぶことがあり、リョコウバトが渡りを始めるとしばらく空が覆い尽くされることもしばしばありました。
北アメリカの先住民たちはリョウコバトを食べていましたが繁殖期には狩猟を控えるなど乱獲はしませんでした。17世紀以降、ヨーロッパからやってきた白人たちはリョウコバトの肉が美味しいことに気がつき狩猟をするようになりました。リョコウバトの肉は高く売れるたため多くの人々が狩猟を始めました。
19世紀になり北アメリカの人口が増えるとリョウコバトは食用に加えて家畜の飼料に利用されたり、羽毛が羽布団の材料として利用されたりするようになりました。こうしてリョコウバトの乱獲は続き、数十年後には個体数が激減しましたが、もともと多くの数が生息していたため乱獲は止まりませんでした。個体数が減少すると雛までが捕まえられるようになりました。
1878年にミシガン州で10億羽のリョコウバトの群れが奇跡的に発見されましたが保護されず乱獲されました。この乱獲は「パトスキーの虐殺」とも呼ばれました。19世紀末にはリョコウバトは希少種となり保護されるようになりました。
リョコウバトは個体数は多かったのですが大きな群れの中でしか繁殖できませんでした。繁殖期は年1回で卵は1個しか産みませんでした。リョコウバトの繁殖力が弱かったのです。乱獲に加えて森林の開発により生息地が減少したことも個体数減少の原因とされています。
野生のリョコウバトは1906年に狩猟されたのが最後とされています。その2年後の1908年に動物園で飼育されていたのはたった7羽でした。動物園でも繁殖させることはできず1910年にはオハイオ州シンシナティ動物園の雌の「マーサ」1羽だけとなりました。そして1914年9月1日午後1時、マーサは老衰で死亡しました。これがリョコウバトの絶滅となりました。
「マーサ」の標本は現在スミソニアン博物館に収蔵されています。残された標本のDNAを利用してリョウコバトを蘇らせようとするジュラシック・パークのような動きがあるようです。
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