八月十八日の政変(1863年8月18日)
文久3年(1863年)3月、徳川家茂は孝明天皇から攘夷実行の一任を取るため第3代将軍徳川家光以来229年ぶりの上洛を果たしました。孝明天皇は政務は従来通り幕府に委任することを表明し、幕府による攘夷の実行を求めました。幕府は同年5月10日をもって攘夷を実行することを約束しました。攘夷と言っても列強に対し武力の行使は困難であり、孝明天皇と幕府は外交交渉により通商条約の一部を破棄することをもって攘夷の実行としようと考えました。幕府は横浜を閉港することにしましたが、列強との交渉も難しく、幕府内の開国派の反対もあり、横浜閉港は実現できずにいました。
攘夷の期日の5月10日、長州藩は幕府命令に従うという口実で馬関海峡(関門海峡)を通過する外国船に砲撃を開始しました。この攘夷実行に朝廷は長州藩を賞賛しましたが、その背景には過激な尊皇攘夷派の公家の動きがありました。この事件は列強の連合軍と長州藩の間で馬関戦争(下関戦争)に発展しました。結果的に長州藩は敗戦しますが、攘夷は幕府の命令に従って行ったものとして各国は幕府に対して多額の賠償金を請求しました。攘夷を要求しながら武力衝突を避けたいと考えていた孝明天皇と幕府は長州藩や過激な公家たちを排除したいと考えるようになりました。孝明天皇は自分が知らないところで京都守護職の会津藩藩主の松平容保に江戸に戻る勅命が出ることなどに強い不満を持っていました。
同年6月27日、7隻のイギリス軍艦が鹿児島湾に現れました。薩摩藩はイギリス軍艦に対して再三交渉しましたが交渉が決裂したうえ蒸気船3隻を奪取されたためこれを攻撃と見なしてイギリス軍艦への砲撃を開始しました。この事件は薩英戦争に発展しましたが、この薩摩藩の砲撃は敵から攻撃を受けた場合は撃ち払っても良いという幕府の方針に従ったものであり、長州藩の攘夷とは異質なもとと判断されました。幕府のもとで攘夷は不可能と考えた長州藩は天皇が自ら攘夷を行う体制にしようと急進的な公家たちと画策を始めました。
急進的な尊皇攘夷派の公家の三条実美は天皇による攘夷実行と倒幕への動きを企て大和行幸を計画しました。8月13日に大和行幸の詔勅が出され、朝廷は長州藩主に上洛を求めました。これによって長州藩や尊皇攘夷派の志士たちが京都に集まり出しました。尊皇攘夷派の公家で侍従の中山忠光と土佐脱藩浪士の吉村虎太郎は大和行幸の先鋒となる天誅組を組織しました。
こうした動きに対して薩摩藩と会津藩は薩会同盟を結び朝廷に対して三条実美をはじめとする急進的な尊皇攘夷派の公家や背後の長州藩勢力を京都から排除する計画を立てました。この計画は8月16日に中川宮朝彦親王から孝明天皇に伝えられましたが多くの者がいる場で十分な説明はできませんでしたが、孝明天皇は状況を理解し政変の決断をし「兵力をもって国の災いを除くべし 」と書いた自筆の書を中川宮に届けました。
8月17日、天誅組が幕府直轄地の大和国の五條代官所を制圧しましたが、同日に薩摩藩と会津藩による政変の実行が決まりました。8月18日午前、禁裏の六門を会津、淀、薩摩の藩兵が警備、次いで諸藩主が参内し藩兵が御所九門を守備しました。御所で大和行幸の延期、三条実美ら公家15人の禁足と面会禁止などが決議された。政変を知った三条実美らの公家と長州藩兵が集まり会津藩兵と薩摩藩兵と対峙しました。長州藩は御所の警備担当を解かれ京都から退去するよう命じられました。これを「八月十八日の政変」といいます。
8月19日、失脚した三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉の7人は長州藩兵とともに長州へ向かいました。これを「七卿落ち」といいます。京都守護職の松平容保は壬生浪士組に市中を巡邏させ、京都町奉行に止宿人の調査を命じました。この八月十八日の政変で壬生浪士組は新撰組という新撰組という隊名を授かりました。
大和行幸が中止になったことで天誅組は挙兵の大義名分を失い約40日間で「天誅組の変」は終息しました。元治元年(1864年)6月5日の「池田屋事件」が起きると長州藩は挙兵、同年7年7月19日に「禁門の変」で会津藩、薩摩藩と戦火を交え朝敵とされます。
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