築地ホテル館が完成(1868年8月10日)
築地ホテル館は慶応4年(1868年)に開業した日本最初の洋式ホテルです。
安政5年(1858年)の日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約により江戸と大阪の開市、新潟・兵庫を開港することになりました。ところが当時の日本は開国派と攘夷派の間で意見が激しく対立し幕政と経済が混乱し期限内での開市・開港の履行は困難でした。
そのため江戸幕府は開港開市の延期交渉のため文久元年(1862年)に欧州に文久遣欧使節を派遣しました。文久2年(1863年)4月2日にロンドンに到着しサー・ラザフォード・オールコック駐日英国公使の協力を得て同年5月9日に開港開始を5年延期する「ロンドン覚書」が調印されました。
【参考】 文久遣欧使節がイギリスとロンドン覚書を調印(1862年5月9日)
「ロンドン覚書」により江戸の開市は慶応3年12月7日(1868年1月1日)となりましたが多くの外国人を受け入れる体制は整っていませんでした。そこでイギリス公使ハリー・パークスは江戸幕府にホテル建設を要請しました。幕府はパークスの要請を受け、築地の軍艦操練所跡地にホテルを建設することにしました。ホテルの設計は横浜外国人居留地内で土木建築事務所を経営していた米国人リチャード・ブリジェンスが担当することになりました。
【参考】幕府が軍艦教授所(軍艦操練所)を設立(1857年4月11日)
ホテルの建設にあたり江戸幕府の小栗忠順は土地を幕府が無償提供するのでホテルの建設と経営を民間に任せるとして募集を行いました。これに応じたのが清水組二代清水喜助でした。幕府は清水喜助に築地のホテルの建設と経営を任せることになりました。ホテルの建設は慶応3年8月9日(1867年9月6日)に始まり1年後の慶応4年8月10日(1868年9月25日)完成した。この清水組が現在の清水建設で明治初期に「第一国立銀行」「為替バンク三井組」の建設も手がけています。ホテルの正式名称は「外国人旅館 」ですが「築地ホテル館」と呼ばれるようになり「第一国立銀行」「為替バンク三井組」とあわせ三大洋風建築と言われています。
「築地ホテル館」は2階建ての塔屋付の本館と平屋からなり延べ面積が約5354平方メートル、間口約74メートル、奥行約62メートルありました。外国人用に作られた全102室には水洗トイレが完備されており、他の施設としてはビリヤード室、シャワー室、バーなどが備えられました。
ホテルが完成したときには大政奉還と王政復古の大号令により江戸幕府は既に終焉していました。同年7月17日に江戸は東京と改名され9月8日には年号が明治と改元されました。
【参考】王政復古の大号令で明治政府樹立(1867年12月9日)
この混乱により江戸の開市は1年遅れて明治元年11月19日(1869年1月1日)となりました。ホテルはこの日を開業予定日としていましたが完成後には仮営業を始めていました。
当時としては風変わりな洋風建築の「築地ホテル館」には多くの人々が見物にやってきました。建物の錦絵も数多く描かれ、あっという間に東京の名所となりました。
しかしながら築地の外国人居留地はあまり発展しませんでした。「築地ホテル館」の経営は厳しくなり民間企業としては成り立たず明治5年1月14日(1872年2月22日)に海軍の施設となりました。明治5年2月26日(1872年4月3日)の銀座大火で焼失してしまいました。
【関連記事】築地ホテル館が完成(1868年8月10日)
・幕府が軍艦教授所(軍艦操練所)を設立(1857年4月11日)
・文久遣欧使節がイギリスとロンドン覚書を調印(1862年5月9日)
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