フェートン号事件(1808年8月15日)
徳川家康が開いた江戸幕府は豊臣秀吉が進めたキリスト教禁制を強め西洋諸国との外交を制限するようになりました。 イギリスは長崎の平戸の商館で日本と貿易を行ったいましたがオランダとの貿易競争に破れて立ち行かなくなり元和9年(1623年)に商館を閉鎖しました。江戸幕府は元和10年(1624年)にスペイン船の来航を禁止、寛永10年(1633年)に日本人の海外渡航を禁止、寛永16年(1639年)にポルトガル船の来航を禁止としました。寛永18年(1641年)に江戸幕府はオランダ商館を平戸から出島に移動し、外交はオランダと清の通商国、朝鮮と琉球の通信国に制限しました。
1793年、フランス革命戦争によりオランダはフランスに占領されました。このときオランダ総督のオラニエ公ウィレム5世はイギリスに亡命しました。これによってオランダ人の革命派によるバタヴィア共和国が成立しました。1806年、フランス皇帝ナポレオンはルイ・ボナパルトをオランダ国王に任命するとオランダとその植民地はフランスの影響を受けることになりました。ウィレム5世はイギリスにオランダの植民地の接収するように依頼しました。出島のオランダ商館はバタヴィア共和国の支配下にありましたがアジアの制海権を握っていたイギリスは長崎のオランダ商館を影響下に置き日本との通商の再開を企てるようになりました。
文化5年8月15日(1808年10月4日)、オランダ国旗を掲げた軍艦が長崎に入港しました。出島のオランダ商館は商館員2名を軍艦に派遣しましたが2人は拿捕されてしまいました。軍艦はオランダ国旗を降ろしイギリス国旗を掲げました。この軍艦はオランダ船ではなくオランダ船を拿捕することを目的とするイギリス海軍フリゲート艦フェートン号だったのです。
長崎奉行所はフェートン号に対してオランダ商館員を解放するよう求めましたが、フェートン号は薪水と食料の要求をしてきました。長崎奉行の松平康英は湾内警備を担当する佐賀藩と福岡藩に警備を強化しフェートン号を抑留あるいは焼き討ちを命じました。ところが佐賀藩が経費削減のため無断で兵数を減らしていたため対処できる状態になく、康英は薩摩藩、熊本藩、久留米藩、大村藩などに応援の要請しました。
翌16日、フェートン号のフリートウッド・ペリュー艦長は人質1人を釈放し薪水や食料の提供がなければ港内の和船を焼き払うと通告してきました。康英は要求を受け入れ17日に十分な薪水と食料を提供すると約束し、この日は少量の物資のみ提供することにしました。康英は援軍が到着するまでの時間稼ぎをしたのです。ペリュー艦長はもう1人の人質を解放し出航準備を始めました。17日未明には援軍が到着しましたが、フェートン号は出航しました。
フェートン号事件はオランダ人の人質も解放され日本側にも被害はありませんでした。しかしながら、長崎の警備体制が十分であればフェートン号の要求に応じる必要はなかったことから長崎奉行の松平康英と佐賀藩の数名が責任をとって切腹しました。
フェートン号事件により幕府が海防を強化する目的で文政8年(1825年)2月18日に外国船を閉め出すための異国船打払令(無二念打払令)を発令しました。この事件は日本が開国へと向かうきっかけを作った重要な出来事のひとつとです。
【関連記事】
・幕府が異国船打払令を廃止|異国船打払之儀停止御書付(1842年7月23日)
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