戦艦「武蔵」が竣工(1942年8月5日)
第一次世界大戦後、戦勝国となった連合軍の米、英、日、仏、伊の五カ国間でワシントン海軍軍縮条約を結び戦艦・航空母艦などの保有を制限することにしました。この条約によって大型戦艦や航空母艦の建造はできなくなり各国は条約範囲の高性能な巡洋艦の開発と建造を進めました。軍拡競争につながったため1930年と1936年にロンドン海軍軍縮条約で軍縮が行われましたが足並みが揃うことはありませんでした。日本は1933年に国際連盟を脱退、1936年にロンドン海軍軍縮条約から脱退しました。その後、英国と米国は排水量45,000トンの戦艦の建造を許容したため各国で大型戦艦の建造が行われるようになりました。
日本の軍艦は最新の戦艦「長門」と「陸奥」を所有してましたがそれ以外は旧式戦艦でした。そのため各国が建造するであろう大型戦艦に対応可能な最新の大型戦艦の必要性が高まり兵装に46センチ主砲を搭載するA140-F6型の超弩級戦艦の第一号艦と第二号艦の建造が決定されました。 これらの戦艦の開発と建造は秘密裏に行われ、第一号艦の建造は昭和12年(1937)年8月21日に決定され同年11月4日に呉海軍工廠で起工されました。これが大和型戦艦「大和」です。
【参考記事】戦艦「大和」が竣工(1941年12月16日)
「武蔵」と名付けられた第二号艦は昭和13年(1938年)3月29日に三菱重工業長崎造船所で始まりました。
「武蔵」は「大和」の弱点とされた副砲塔周辺の防御を強化し、司令部の設備の充実が施されました。「武蔵」の進水式は昭和15年(1940年)11月1日に行われましたが、当日は「防空演習」として住民に外出禁止を命じ厳重警戒のなかで昭和天皇名代として伏見宮博恭王元帥が見守る中で執り行われました。
「武蔵」は昭和17年(1942年8月5日)に竣工し第一艦隊第一戦隊に編入されました。翌年の昭和18年(1943年)1月18日にトラック諸島に向けて呉を出発し、同年2月11日に「大和」に代わり連合艦隊旗艦になりました。「武蔵」は日本海軍の最後の連合艦隊旗艦であり、第二次世界大戦中で最も長く連合艦隊旗艦を務めました。
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