五稜郭の一本松の土饅頭
五稜郭公園内に「一本松の土饅頭」と呼ばれる松の木があります。五稜郭タワー側にある二の橋から公園に入ると五稜郭を設計した武田斐三郎の顕彰碑があります。その左側を進みさらに左奥に盛られた土の上に松の木が生えています。これが「一本松の土饅頭」です。
「五稜郭史」(片上楽天著、大正10年、1921年)には一本松の土饅頭を合葬地としたこと、伊庭八郎が埋葬されていることが記載されています。また明治32年(1899年)9月に上野東照宮で催された「伊庭八郎を偲ぶ会」において伊庭八郎の墓は土方歳三の墓の近くにあるという出席者の証言があったという記録が残っています。土方歳三の埋葬地には諸説ありますが五稜郭に運ばれて埋葬されたという記録があります。以上のことを勘案すると、この「一本松の土饅頭」に土方歳三と伊庭八郎が埋葬されたことになります。
明治11年(1878年)の土塁工事で多数の遺体が発見され遺体は願乗寺(東川町、本願寺西別院)に移されています。「一本松の土饅頭」は大正15年に発掘調査が行われていますがそのときには遺体は見つからなかったという記録があります。
「一本松の土饅頭」の場所はこちらです。
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