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2024年8月 9日 (金)

ムーミンの日|トーベ・ヤンソンの誕生日(1941年8月9日)

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 ムーミンはフィンランドの作家トーベ・ヤンソン原作の小説や絵本や漫画です。かつては日本語の語呂合わせから6月3日が「ムーミンの日」とされていましたが、2005年のムーミン誕生60周年を機会に全世界で通用する記念日とするためにトーベ・ヤンソンの誕生日8月9日に改められました。

ムーミンの漫画本の表紙(トーベ・ヤンソン)
ムーミンの漫画本の表紙(トーベ・ヤンソン)

 トーベ・ヤンソンは彫刻家の父親と画家の母親のもとに生まれました。トーベは幼少期の頃から絵が上手く父親は娘が芸術家になるだろうと考えていました。母親の仕事を間近で見ているうちに物語を考えたり自分で本を作るようになりました。ヤンソン家は裕福な家庭ではなく、トーベは幼い頃から絵の仕事などで家計を助けたいと考えていました。中学生になると挿絵つきの冊子を作り学校で販売しました。

 1927年に取材のため新聞社がヤンソン家を訪れました。そのとき新聞記者がトーベの作品を見てトーベを週刊誌に紹介しました。このことがきっかけとなってトーベーは14歳のときに作家デビューしました。その後、トーベは絵物語を連載するようになり、その収入が家計を助けるようになりました。トーベは仕事を通じて自分の考えをしっかりと編集者や出版社に伝えない自分が予想していたものと違う絵が出来上がってしまうことを経験し、絵の色の指定などを詳細を伝えるようになりました。

 トーベは1930年に母親の母校でもあるスウェーデンの美術学校に入学しました。卒業後は美術大学への進学を進められましたがフィンランドの家族のもとに戻り、父親の母校の美術学校に通いました。学校生活は満足できるようなものではありませんでしたが、自身のアトリエも開き画家や小説家の仕事を手がけ仕事も増えていきました。卒業後、より自由な芸術学校へ通い、トーベは芸術家としても名を馳せるようになりました。その後はフランスのパリに滞在し美術学校に入学しましたが指導方針が合わず通うのをやめてしまいました。その後、スイス人のアドリアン・オリーのアトリエで創作を行うようになりまいた。芸術家は自身で道を決めるという教育方針のオリーのもとで、トーベは自分のスタイルを決めるきっかけをつかみました。

 トーベはパリの滞在を終えるとイタリアを旅して芸術の見聞を広げました。1939年8月にフィンランドに戻りましたが翌月に第二次世界対戦が始まりました。トーベは戦争から避けるように創作活動を進めました。ムーミンの原型となるキャラクターを創作したのもこの頃です。このキャラクターはスノークスという名前でファンタジーに登場する風刺画でした。その後、スノークスはいろいろな作品に登場するようになりますが、トーベは1944年に名前をムーミントロールに変更し物語の執筆を始めました。

 1945年に、トーベ・ヤンソンは最初のムーミン小説『小さなミムラ姫』を発表しました。この小説は、すぐにフィンランドでベストセラーとなり、その後、世界各国で翻訳されました。トーベ・ヤンソンは、ムーミンシリーズを1970年まで書き続け、その間に19冊の小説、10冊の絵本、6冊の短編小説集を出版しました。

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