弁天台場|新撰組最期の地
安政元年(1854年)3月、日米和親条約で箱館が開港すると幕府は蝦夷地を直轄し6月に箱館奉行所を基坂(元町公園)に設置した。箱館奉行に就任した竹内保徳と堀利煕は基坂の箱館奉行所は箱館港や箱館山に近く防衛に難があるとし艦砲射撃の届かない内陸の亀田の鍛治村への移転を幕府に上申、老中阿部正弘がこれを了承し五稜郭を築城することになりました。このとき箱館湾の防衛のために建造されたのが弁天台場です。弁天台場は五稜郭を設計した武田甲斐三郎によって設計され予算10万両で安政3年(1856年)から元治元年(1864年)にかけて建設されました。
弁天台場は将棋の駒のような不等辺六角形の形をしていて周囲は約684メートル、総面積32,340平方メートル、高さ約11メートルの石垣に囲まれていました。石垣には主に函館山で切り出された石が使われました。備前御影石で作られた大手門はアーチ型をしておりトンネル状の通路で内部に通じていました。弁天台場には24ポンド筒50挺が配備される予定でしたが製造設備の準備ができなかったため計画が頓挫しました。箱館奉行は下田沖で沈没したロシアのディアナ号の船員を救出した際にエフィム・プチャーチンが江戸幕府に献上した52挺の大砲の配置を要請しました。海軍からの要請もあったため幕府は24挺を箱館に送りました。
弁天台場は異国船に対して使用されることはありませんでした。実戦に使われたのは戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争においてでした。土方歳三とともに箱館戦争に参戦した新撰組は箱館山の山頂を守備していましたが、箱館山山頂が新政府軍の奇襲により占領されると弁天台場に入りました。弁天台場は奮戦しましたが新政府軍がが箱館市中を占領すると孤立し明治2年(1869年)5月15日に五稜郭に先立ち降伏開城しました。弁天台場は明治30年頃に取り壊され使用されていた石材は函館漁港の護岸建設に使われました。
弁天台場があった場所は次の地図の右下です。現在は「函館どつく」(函館市弁天町)の敷地となっています。
「函館どつく」の入り口に弁天台場跡の碑が立っていますが、ここは自転車置き場になっており案内板などは設置されていません。
弁天台場の案内板は函館市電の電停「函館どつく前」近くの入船児童公園にあります。公園の中には箱館奉行の永井玄蕃、玄蕃の補佐役で会計奉行の川村録四郎、新撰組の島田魁の案内柱が建てられています。
また公園の入り口横に通りに面して弁天台場の案内板と「新選組最後の地」の碑が設置されています。
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