明治天皇の即位の礼(1868年8月27日)
第121代の孝明天皇は慶応2年(1867年)12月25日に崩御されました。慶応3年(1867年)1月9日、睦仁親王が皇位を継承し第122代天皇となりました。即位の礼は同年11月に執り行う予定でしたが同年10月4日に徳川慶喜が大政奉還を行うなど国事多難により見送られました。同年年12月9日、明治天皇は京都御所の御学問所にて勅令「王政復古の大号令」を発し新政府が樹立、徳川家康以来260年間続いた徳川将軍家による幕府が終焉しました。
新政府は徳川幕府の時代が終焉し新しい時代を迎えることを知らしめる即位の礼を執り行うことにしました。慶応4年・明治元年(1868年)5月に神祇官副知事の津和野藩主で亀井茲監を「御即位新式取調御用掛」に任命しました。岩倉具視は中国の模倣である唐風儀式を取りやめ日本古来の方式で執り行うよう命じました。
同年8月17日、新政府は即位の礼を8月27日に執り行うことを発表しました。同月21日から一連の儀式が始まりました。即位の礼の前日には天皇と国民の絆を強めるため天皇誕生日(旧暦9月22日。新暦11月3日)を天長節として国民の祝日と定めました。そして8月27日に京都御所にて即位の礼が執り行われ明治天皇の即位が宣明されました。天皇の礼服は唐風の冕冠・袞衣から黄櫨染御袍の束帯となり、従来の中国式や仏式の儀式は神道の儀式に改められました。
皇威や国威を世界に知らしめることを目的として即位の礼の会場にはかつて水戸藩主徳川斉昭が孝明天皇に献上した直径1メートルの地球儀が設置されました。また、これまでは宣命使が小声で読み上げていた宣命を大声で読むよう改め万民奉賀の寿詞を奏上しました。参列は公家のみではなく武士も許されました。宣明には神武天皇から始まる「神武創業」「万世一系」が加えられました。大嘗祭は明治4年(1871年)11月17日に東京で執り行われました。
なお明治に改元されたのは慶応4年(1868年)9月8日です。明治以降は一世一元の制となり(一世一元の詔発布)となり同じ天皇の時代に改元されることはなくなりました。
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