箱館奉行が建造した洋式帆船スクーナー「箱館丸」
写真の船は函館港西埠頭に展示されている「箱館丸」の復元船です。この復元船は昭和63年(1988年)に開催された青函トンネル開通記念博覧会で建造されました。博覧会後に「箱館丸」の設計と建造に当たった船大工の続豊治の子孫が買い取り函館市に寄贈したものです。
安政元年(1854年)の日米和親条約の締結で箱館は開港されることになりました。幕府は箱館を直轄地とし竹内保徳と堀利煕を箱館奉行に任命しました。箱館奉行は海防と警備強化のため幕府に蒸気船配備を申請しました。
当時、幕府は下田沖で難破したロシア帝国のエフィム・プチャーチン提督のフリゲート艦「ディアナ」の船員が帰国できるよう伊豆国君沢郡戸田村で洋式帆船「ヘダ」を建造していました。洋式帆船の造船技術を学んだ幕府はこの「ヘダ」を原型とする洋式帆船の製造を開始し君沢形と名付けました。幕府はこの君沢形洋式帆船を箱館に2隻配備し箱館奉行に追加の同型船建造を認めましたが、君沢形の配備までに時間がかかるため箱館奉行は独自に洋式帆船を建造することにしました。
箱館では開運業を営んでいた高田屋嘉兵衛が活躍した地であり、かつては高田屋の造船所があり船大工もたくさんいました。しかし高田屋の没落により造船所は廃止となり船大工も職を失っていました。
安政元年(1854年)4月、箱館奉行は高田屋で船大工をしていた仏壇師の続豊治を箱館奉行所異国船応接方従僕に任命しました。豊治が選ばれたのは彼が船大工の職を失っても船舶に興味を持ち続け箱館港に寄港する異国船の構造の調査で捕縛された経験があったからでした。箱館奉行所に採用された後は役人として異国船の調査を続け、調査で得られた経験と知識から安政3年(1856年)に船大工の辻松之丞の造船所で小型船2隻の試作を完成させました。この小型船の完成度を高く評価した箱館奉行は豊治を船大工頭取に任命し洋式帆船の建造を命じました。
豊治は箱館の築嶋でスクーナー「箱館丸」の建造を始め安政4年(1857年)7月に竣工させました。進水式には箱館奉行の堀利熈が出席しました。豊治は「箱館丸」の建造の功績により箱館御用船大工棟梁となりました。
安政4年(1858年)11月24日、函館奉行の堀利煕は「函館丸」に試乗して江戸に戻りました。利煕は「函館丸」について速力も十分で暴風雨にも堅牢だったと高く評価しています。
安政5年(1858年)、続豊治は2隻目のスクーナー建造を開始し、安政6年(1859年)10月に竣工させた。2番船は「亀田丸」と名付けられました。同年11月、竹内保徳は「亀田丸」で江戸に帰還にしました。
君沢形とは異なる構造をもつ「箱館丸」「亀田丸」は箱館製であることから箱館形と呼ばれるようになりました。安政5年6月には大野藩が同型の「大野丸」を竣工させています。
「箱館丸」は測量で日本各地を訪れています。このとき測量士として前島密が乗船していました。明治維新後も北海道で使用されましたが明治2年(1869年)9月に樺太で停泊中に暴風雨で大破し焼却処分されました。
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