第25話「北へ還れ」|明日なき戦いの果てに
榎本釜次郎は安政元年(1854年)に箱館奉行の堀利煕の従者として箱館に赴き蝦夷地や樺太の巡視に武田斐三郎らと同行している。未開の地やロシア台頭を目にした19歳の釜次郎は蝦夷地の開拓や国防の重要性を心に刻んだに違いない。
西郷隆盛は薩摩藩兵を引き連れて箱館戦争の支援に来た。箱館到着は終戦後の25日、隆盛は箱館湾を視察し上陸せず引き返した。自身が介入し黒田清孝らの尽力に水を差すことを避けたと伝えられている。隆盛は明治4年(1871年)頃に蝦夷地開拓と防衛を主張したが征韓論で下野し明治10年に西南戦争で自決した。
坂本龍馬も蝦夷地開拓を志し蝦夷地に新国を開くことを積年の夢とし船舶を入手して渡航計画を立てたが京都近江屋で暗殺され夢を果たせぬままこの世を去った。
明治2年8月15日、新政府は蝦夷地を北海道と改名した。蝦夷地開拓の志は開拓次官となった黒田清隆が引き継いだ。武陽は清孝の嘆願で助命され明治5年に特赦・放免となり明治政府に仕えた。武陽の最初の仕事が清孝のもとでの北海道開拓だった。他に松平太郎、荒井郁之介、大鳥圭介、永井尚志などが開拓使に身を置いた。
清孝は蝦夷地で新国を作ろうとした箱館政権の面々を仲間にしたのである。釜次郎は蝦夷地開拓と防衛を志し明日なき戦いに突入したが北へ還ってきた。黒船来航で分断した日本は北海道開拓を旗印にまとまった。広大な北海道で終わりの見えない開拓事業が志士たちを待っていたのである。
明治8年5月、札幌郊外琴似に屯田兵が設置され北海道は新たな時代を迎え全国各地から開拓民が入植した。時は流れて明治31年(1898年)、渋沢栄一は蝦夷地開拓を進める北海道庁の要請で十勝清水町熊牛に十勝開墾合資会社を設立した。この会社の初代社長に就任したのが渋沢喜六こと成一郎である。
人生万事塞翁が馬、私の好きな言葉です。
明日なき戦いの果てに(完)
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