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2024年7月17日 (水)

ヘンデルの水上の音楽の初演(1717年7月17日)

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 水上の音楽(Water Music)はドイツ出身のイギリスのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが作曲した管弦楽曲集です。

 1700年代の初めイタリアで活動し成功を収めたヘンデルは1710年にドイツのハノーファー王国ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの宮廷楽長となりましたが長期旅行への許可を得てイギリスのロンドンを訪れました。ヘンデルはイギリスで貴族らかの要請でオペラ「リナルド」を書きあげました。この曲はアン女王へ献辞され大成功を収めました。ヘンデルはアン王女にロンドンに再訪することを約束しハノーファーに帰りました。

ヘンデルとゲオルク・ルートヴィヒ
ヘンデルとゲオルク・ルートヴィヒ

 ヘンデルがロンドンを再訪したのは翌1712年11月のことでした。ヘンデルはこれ以降ハノーファーに帰国せずロンドンに住むようになりました。1714年にアン王女が崩御しステュアート朝が断絶すると、母親がステュアート家の血筋だったハノーファー選帝侯がグレートブリテン王国の国王ジョージ1世として迎えられることになりました。

 2年以上もの間、ハノーファー王国からの帰国命令を無視してロンドンに滞在していたヘンデルに対して特段の咎めはありませんでした。ヘンデルはジョージ1世と良好な関係を保ちました。ジョージ1世が1716年にハノーファーを訪れたときにはヘンデルも随行しています。

 1717年、ヘンデルはジョージ1世のテムズ川での船遊びのため「水上の音楽」を作曲しました。1717年7月17午後8時頃、ジョージ1世はホワイトホール宮殿から王室の船に乗りテムズ川をチェルシーに向けて遡上しました。この船にオーケストラが乗る別の船が随行し、ヘンデルの「水上の音楽」が演奏されました。チェルシーまでの往復の間に3回も演奏され川辺では多くのロンドン市民がこの演奏を楽しみました。ジョージ1世は11時頃に宮殿に戻り「水上の音楽」にたいへん満足しました。

テムズ川上のジョージ1世とヘンデル(19世紀に描かれた想像図)
テムズ川上のジョージ1世とヘンデル(19世紀に描かれた想像図)

 ヘンデルの「水上の音楽」を初めて聴いた人でも、どこかで聴いたことがあるメロディが流れます。下記の19分30秒ぐらいから始まる「第9曲」のホーンパイプ風ニ長調3/2拍子などは有名です。

 ところでヘンデルの「水上の音楽」を聴いていると自分はドラゴン・クエストで王宮を訪れるシーンを思い出してしまいます。

ヘンデル:組曲「水上の音楽」

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