ロシアのプチャーチン極東艦隊指令官が長崎来航(1853年7月18日)
1842年、アヘン戦争に勝利したイギリスは清と南京条約を締結しました。ロシア海軍のエフィム・プチャーチンはロシアも極東地域に進出する必要があると皇帝ニコライ1世に進言しました。プチャーチンは1843年に清と日本との交渉を命じられましたが、キャフタ貿易に悪影響を与える懸念があることからプチャーチンの極東派遣は見送られました。
1852年、アメリカ合衆国がマシュー・ペリー提督を派遣し日本に開国と貿易を求める計画を知ったコンスタンチン・ニコラエヴィチ大公はプチャーチンを日本との条約締結のために遣日全権使節に任命し、ニコライ1世は日本と平和的に交渉するよう命じました。
プチャーチンは1852年9月にペテルブルクを出発しイギリスで汽走スクーナーのボストーク号を購入し旗艦とするフリゲート艦パラルダ号の到着を待ちました。同年10月、パラルダ号はクロンシュタットを出港、パルラダがイギリスに到着するとボストーク号を従えて日本に向かいました。アフリカ南端の喜望峰を周り、セイロン、フィリピンを経由、父島でコルベット艦オリーブツァ号と輸送船メンシコフ公爵号と合流しました。プチャーチンはニコライ1世の命令に従い平和的な交渉を行うため、日本に対して紳士的な態度で交渉することを考えて江戸ではなく日本の外交窓口の長崎に向かいました。これは旧知のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトの進言でした。
プチャーチンが旗艦パルラダ号以下4隻の艦隊で長崎に来航したのは嘉永6年7月18日(1853年8月22日)です。マシュー・ペリー提督が率いる艦隊が浦賀沖に現れたのは嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、離日したのは嘉永6年6月12日(1853年7月17日)ですから、ペリーより約1カ月半遅れの日本来航でした。
プチャーチンは長崎奉行の大沢安宅に国書を預け幕府からの全権の到着を待ちました。ところがイギリス海軍が極東のロシア軍を攻撃するため艦隊を派遣したためプチャーチンは嘉永6年10月23日(1853年11月23日)に長崎を出港し上海に向かいました。プチャーチンが再び長崎に来航したのは嘉永6年12月5日(1854年1月3日)です。プチャーチンは幕府全権の川路聖謨と筒井政憲と会談し、日本が他国と通商条約を締結した場合にロシアとも条約を締結するという合意を得て離日しました。
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