五稜郭公園のクルップ砲のおはなし|明日なき戦いの果てに番外編
北海道函館市の五稜郭公園の園内に2つの大砲が設置されています。この大砲はそのうちのひとつでクルップ砲と呼ばれるものです。 クルップ砲はドイツの製鉄・兵器製造企業のクルップ社が製造した大砲です
18世紀末、鋳鉄はイギリスが世界の需要を独占していました。プロイセンの発明家フリードリヒ・クルップはイギリスの鋳鋼技術を解明するためライン川の畔に小さな水車小屋を建てました。ここで水力を動力として鋳鉄の研究に取り組みましたが鋳鉄技術の解明は困難を極めました。借金を抱えたフリードリヒは困窮し病気となり1826年に39歳の若さで亡くなりました。
フリードリッヒの研究は長男のアルフレート・クルップが引き継ぎました。このときアルフレートは若干14歳でした。アルフレートは従業員とともに鋳鋼の研究を続け、ついに父が果たせなかった鋳鉄技術の解明に成功しました。クルップが最初に取り組んだのは工具、ナイフやスプーンの食器の製造でした。やがて貨幣の鋳造機や鉄道車輪の製造を行うようなりました。1830年代に大量の鉄道車輪を受注すると本格的に鉄道事業に乗り出し大成功を収めました。
この頃、フランスをはじめヨーロッパ各地で革命戦争が起こりはじめました。クルップは武器の製造に着手し、1840年代に銃や大砲の製造を始めました。クルップはプロセイン陸軍に大砲を売り込みましたが相手にされませんでした。そこでクルップは宣伝のためにプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に大砲を献上しました。大砲は王宮に展示され大いに注目されました。クルップは1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会に大砲を出展し金賞を受賞しました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の後を継いで国王となったヴィルヘルム1世はクルップに大砲を大量に注文しました。このとき首相のオットー・フォン・ビスマルクがクルップを訪れています。ビスマルクは軍事力を重視し1862年に「現在の大問題は演説や多数決ではなく、鉄と血でこそ解決される」という熱血演説をしています。高性能な大砲や銃を作るには純鉄が必要であると考えたのです。クルップはビスマルクと意気投合しました。ビスマルクは高品質の純鉄を製造するため物理学者に鉄の温度を測定する方法を研究させています。この研究の成果は後に量子力学につながります。
クルップの大砲は成功を収め各国からも注文されるようになりました。人々は節操のない商売重視のクルップを大砲王と呼ぶようになりましたが、クルップが製造した大砲と鉄道車輪はプロセイン王国の近代化を推し進め普仏戦争での勝利を導きました。クルップは1867年のパリ万国博覧会に巨大な大砲を出展しています。
この頃、日本の榎本武揚はオランダに注文した開陽丸を引き取るためオランダに留学していました。この期間中に榎本武揚と赤松則良はクルップを訪れ開陽丸に搭載する大砲を注文しています。開陽丸には16 cm鋳鋼施条前装砲(前装式施条砲)が18門搭載されていますがこれがクルップ砲です。
五稜郭公園に展示されているクルップ砲は昭和7年(1932年)の七重浜の埋め立て工事のときに発見されました。全長2.85メートル、重量1トン、射程距離は3000メートルに及ぶももので新政府軍の朝陽丸に搭載されていたものと考えられています。
朝陽丸は箱館政権軍の蟠竜丸(松岡磐吉艦長)の砲撃で轟沈しました。七重浜付近で沈没した軍艦は朝陽丸のみのためこのクルップ砲は同艦のものと考えらています。
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