第24話「千代ヶ岱陣屋陥落と箱館戦争終結」|明日なき戦いの果てに
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山田顕義率いる新政府軍は5月16日未明に千代ヶ岱陣屋の総攻撃を開始した。やがて白兵戦となり三郎助は台場の胸壁に登ったところを狙撃され、長男恒太郎と次男英次郎、浦賀奉行の仲間と討ち死にした。他部隊は五稜郭に撤退、徹底抗戦を主張した渋沢成一郎は湯の川へ逃れた。死んでは元も子もない、京都の経験に思いを馳せたのだろうか。
三郎助の戦いが戊辰戦争最後の戦闘である。黒船来航から箱館戦争まで関わった三郎助はラストサムライの1人である。若い頃に造船学を学ぶため浦賀の三郎助の家に下宿した桂小五郎(木戸孝允)は新政府の要人ながら三郎助の死を嘆き悲しんだ。戦後に明治天皇と箱館を訪れたとき陣屋跡付近で感極まって号泣したそうである。孝允は榎本武揚と三郎助の遺族を支援、三男中島與曽八は海軍機関中将となった。
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