第19話「超兵器甲鉄艦」|明日なき戦いの果てに
新政府は旧幕府軍が箱館を占領すると青森に部隊を集めて交戦の準備を始めた。明治元年(1868年)11月9日、奥羽征討軍参謀山田顕義を青森口陸軍参謀とし、19日に旧幕府軍追討令を出して箱館府知事の清水谷公考を青森口総督とした。新政府陸軍は明治2年2月に青森に集結し雪解けを待った。海軍は米国から最新鋭装甲軍艦の甲鉄艦を2月に購入した。甲鉄艦は衝角と大砲3基が備えた超兵器の装甲軍艦であった。
3月9日、長崎海軍伝習所出身の海軍参謀の増田虎之助(明道)が率いる甲鉄艦を旗艦とする春日丸、陽春丸、丁卯丸、豊安丸、戊辰丸、晨風丸、飛龍丸の8隻の艦隊が品川沖から青森に向かった。
新政府軍艦隊が宮古湾に入る情報を得た箱館政権はフランス海軍士官アンリ・ニコールの発案による甲鉄艦拿捕の計画を立て3月20日に荒井郁之助を指揮官とし回天丸、蟠竜丸、第二回天(高雄丸)を派遣した。この艦隊には土方歳三が率いる陸軍兵が乗船していた。
23日の暴風雨の影響で集結地の山田湾に到着したのは回天丸と第二回天だけで蟠竜丸は鮫港(八戸)で待機した。第二回天は蒸気機関のトラブルのため回天丸のみで計画を実行することになった。25日早朝、回天は宮古湾へ突入し甲鉄艦を奇襲した。回天丸は外輪船のため横付けできず甲鉄艦の側面に艦首を突っ込み、さらに船高が甲鉄艦より高いため兵隊の突入が制限される不利な体勢となった。
甲鉄艦に飛び降りる兵隊はガトリング砲や小銃で撃たれ、新政府軍の他の軍艦が参戦したため甲鉄艦の拿捕は失敗に終わった。回天丸と蟠竜丸は箱館に帰還できたが第二回天は新政府軍に拿捕された。この宮古湾海戦で回天丸艦長の甲賀源吾、新選組の野村利三郎をはじめ19名が戦死した。この宮古湾海戦の回天丸の奇襲を評価したのが新政府軍の春日丸に乗船し砲術士官として参戦していた後の元帥海軍大将東郷平八郎である。
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