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2024年6月11日 (火)

第20話「蝦夷地上陸作戦」|明日なき戦いの果てに

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 宮古湾海戦後に新政府の海軍が青森に到着したのは明治2年(1869年)3月26日である。4月9日、新政府軍は乙部に到着した。箱館政権軍は新政府軍の上陸と江差攻略を阻止できず松前まで退却した。12日、陸軍参謀黒田清隆が率いる部隊が江差に上陸、新政府軍は松前、木古内、二股から箱館に向けて進軍を開始した。

渡島半島地図
渡島半島地図

 松前では伊庭八郎が率いる遊撃隊と春日左衛門が率いる彰義隊が江差奪還を試みたが19日には松前を占拠され撤退した。木古内は彰義隊が守っていたが大鳥圭介率いる伝習隊や額兵隊が援軍となり新政府軍を迎え撃つも撤退を余儀なくされた。さらなる援軍で木古内を奪還したものの地の利のある矢不来に退き胸壁と砲台を築いて布陣した。このとき会津藩士の諏訪常吉は敵軍宛に和平の置き手紙を当別に残している。

 29日、新政府軍は矢不来を街道側、海側、山側から攻撃、甲鉄艦や春日丸が艦砲射撃を行った。箱館政権軍は壊滅状態となり衝鋒隊の天野新太郎や永井蠖伸斎が戦死した。圭介は有川まで撤退し榎本武揚と合流するが箱館政権軍は総崩れとなり箱館へ敗走した。

 一方、二股では土方歳三が指揮する衝鋒隊、伝習隊が台場山に胸壁を構築し新政府軍を迎撃した。歳三の部隊は険しい山頂という地の利も得て小隊が交代しながら小銃を撃ちかけ新政府軍を撃退した。新政府軍は山をよじ登り台場山に乱入し激しい戦いを繰り広げたが25日には撤退し二股を迂回する道を切り開き始めた。29日に矢不来が占拠されると退路を絶たれることを恐れた歳三は五稜郭へ撤退した。

 28日、青森口総督の清水谷公考が江差に到着、新政府軍は有川に集結し箱館総攻撃の準備を整えた。最後の決戦を前に新政府軍は有川沖に榎本艦隊を牽制・攻撃しつつ艦砲射撃による陸軍の進軍を支援するため甲鉄艦、朝陽丸、春日丸、陽春丸、延年丸、丁卯丸の6隻の艦隊を集結させた。開陽丸を失い制海権を失った榎本艦隊は回天丸、播龍丸の2隻を残すのみであった。

 

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