奥羽越列藩同盟が成立(1868年5月6日)
幕末に会津藩主の松平容保は京都守護職を命じられ新選組などを配下に置いていました。庄内藩主の酒井忠篤は江戸市中取締を命じられ新徴組などを配下に置いていました。両藩は徳川幕府が終焉に向かうなかで長州藩や薩摩藩との対立を深めていきました。
仙台藩は伊達政宗以来徳川家と繋がりが深く奥羽で62万石を持つ最大の藩となっていましたが藩主の伊達慶邦は幕府と新政府の政局から距離を置いていました。
戊辰戦争が始まり慶応4年(1868年)1月9日に鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると容保は徳川慶喜と江戸に戻りました。新政府は仙台藩に会津藩の追討を命じたが仙台藩は出兵しませんでした。
新政府は同年2月に江戸や東国を鎮圧するための東征大総督府に朝敵とした会津藩や庄内藩の討伐と混乱する東北の鎮圧目的として奥羽鎮撫総督府を設置しました。
朝敵とされた会津藩の容保は隠居を表明し朝廷に謝罪し会津に戻りました。同年3月、奥羽鎮撫総督府は仙台藩と米沢藩に対し会津藩に降伏勧告するよう命じました。しかし会津藩は謝罪嘆願するものの降伏勧告に従いませんでした。
このような情勢の中で同年4月に会津藩と庄内藩は会庄同盟を結び、米沢藩を同盟に加えることができれば仙台藩を味方に引き入れることがてきると画策しました。
奥羽諸藩は奥羽鎮撫総督府に従っていましたが会津藩と庄内藩に対する朝敵を赦免する嘆願を行いました。当初は赦免嘆願を目的とする協力に過ぎませんでしたが、新政府が拒絶すると軍事同盟の色合いが濃くなってきました。
度重なる赦免嘆願の却下により仙台藩、米沢藩、秋田藩、盛岡藩、二本松藩、弘前藩、新庄藩、棚倉藩、相馬藩、三春藩、山形藩、上ノ山藩、平藩、一ノ関藩、福島藩、松前福山藩、本荘藩、守山藩、泉藩、亀田藩、八戸藩、天童藩、湯長谷藩、下手戸藩、矢島藩の奥羽25藩は慶応4年(1868年)5月3日に「奥羽列藩同盟」を結成、これにさら長岡藩、新発田藩、村上藩、村松藩、三根山藩、黒川藩の越後6藩が加わり合計31藩からなる「奥羽越列藩同盟」が慶応4年(1868年)5月6日に成立しました。同盟の盟主には輪王寺宮公現入道親王が就きました。
こうして戊辰戦争は東北戦争の激しい戦いへと発展していくことになったのです。
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