第16話「江戸脱出作戦」|明日なき戦いの果てに
旧幕府軍の抗戦派は江戸開城を前に新政府軍に対抗するため江戸を離れ始めた。抗戦派が離れることは平和的降伏を進める勝海舟にとって好都合だった。慶応4年(1868年)2月、伝習隊の一部が八王子に脱走。数日後、幕府軍歩兵2連隊が脱走、幕府陸軍歩兵差図役頭取の古屋佐久左衛門が衝鋒隊を結成した。近藤勇と土方歳三は新政府軍の東征阻止のため甲陽鎮撫隊と称し甲府城に向かったが勝沼で敗れて下総流山まで転戦するも勇は捕まり処刑された。庄内藩のもとで江戸を警備した新徴組は庄内に戻った。彰義隊の渋沢成一郎は慶喜の水戸移動に伴い江戸を離れようとしたが副頭取天野八郎の反発で暗殺されかけて離脱、彰義隊は上野戦争で壊滅し残党は旧幕府軍に合流した。
同年4月11日の江戸開城後、それまで立場上動けなかった志士たちも江戸から脱出し始めた。大鳥圭介は同日に伝習隊本隊を率いて江戸から脱出し東北に向かった。このとき陸軍奉行並の松平太郎、歳三と島田魁らが合流している。旧幕府海軍を掌握していた海軍副総裁の榎本武陽は抗戦を主張したが慶喜は取り合わなかった。
新政府軍が江戸開城の降伏条件の1つである旧幕府海軍艦隊の引き渡しを要求すると、武陽は悪天候を理由に艦隊8隻で品川から離脱した。これに人見勝太郎や伊庭八郎が率いる遊撃隊が同行している。その後、武陽は海舟の説得で4隻を新政府軍に引き渡したが開陽丸など主力艦は確保した。武陽は江戸脱走作戦を進め徳川家が8月15日に駿府に移ると、19日に開陽丸、回天丸、蟠竜丸、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の8隻の艦隊を率いて江戸を脱出し奥羽越列藩同盟の支援のため東北に向かった。
榎本艦隊には永井尚志、松平太郎、成一郎、彰義隊や遊撃隊の残党、フランス軍事顧問団から離脱したジュール・ブリュネやアンドレ・カズヌーヴなど約2,000名の様々な面々が同行した。
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