第一次東禅寺事件(1861年5月28日)
1858年の日英修好通商条約が締結により安政6年(1859年)6月2日に長崎、神奈川、箱館が開港されることになりました。このとき初代駐日総領事に就いたのが清など東アジアで外交の経験を積んでいたラザフォード・オールコックです。オールコックは同年5月3日に長崎に到着、日英修好通商条約の批准書交換を行うため江戸に向かい5月26日に品川沖に到着し高輪東禅寺に入りました。
万延元年(1860年)10月15日、江戸城の近隣でマイケル・モース事件が起こりました。この対応のためオールコックは翌1861年に香港に赴きました。オールコックが長崎を経て江戸に戻ってきたのは文久元年(1861年)5月27日です。このとき幕府は警備上の問題からオールコックに対して海路で江戸に向かうよう要請しましたが、オールコックは条約の国内旅行権を主張し瀬戸内海を経て陸路で江戸へ向かいました。特に問題は起こらず無事に江戸に到着したオールコックは高輪東禅寺に置かれたイギリス公使館に入りました。
オールコックが幕府の要請を断り陸路で移動したことについて外国人に神州日本がけがされたと激怒した水戸藩脱藩の有賀半弥をはじめとする14名の攘夷派浪士たちが同年5月28日午前10時頃にイギリス公使館を襲撃しました。イギリス公使館で警備の任についていた幕府の外国奉行配下の武士たちが攘夷派浪士に応戦しました。オールコックは無事でしたが一等書記官ローレンス・オリファントと長崎駐在領事ジョージ・モリソンが負傷しました。この事件で警備をしていた武士が2名、夷派浪士は有賀半弥他2名が死亡しました。
オールコックはこの事件について幕府に対し厳重に抗議し、イギリス水兵の公使館駐屯とイギリス軍艦の横浜常駐を認めさせました。幕府が警備兵を増強し1万ドルの賠償金を支払いうことで事件は解決しました。この交渉に基づいて品川の御殿山で建設が始められた公使館は文久2年(1863年)12月12日に攘夷派志士たちによって焼き討ちされています。これは英国公使館焼き討ち事件と呼ばれますが焼き討ちを首謀したのは高杉晋作でした。
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