文久遣欧使節がイギリスとロンドン覚書を調印(1862年5月9日)
安政5年(1858年)6月19日、江戸幕府は日米和親条約に続いて日米修好通商条約を締結しました。さらに同年9月までに欧州の列強であるオランダ、フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガルと修好通商条約を結びました。安政五カ国条約と呼ばれるこの条約では江戸と大阪の開市、新潟・兵庫を開港することになっていました。
しかしながら国内の経済や政治の状況から期限内での履行が困難になったため江戸幕府は開港開市の延期交渉ならびにロシアとの樺太国境の画定交渉のため文久元年(1862年)に欧州に文久遣欧使節を派遣しました。正使の竹内保徳、副使の松平康直(康英)、目付の京極高朗、組頭の柴田貞太郎をはじめとする38名が派遣されました。竹内保徳は初代の箱館奉行を務めた人物で文久遣欧使節は竹内遣欧使節とも呼ばれます。
文久遣欧使節は文久元年(1862年)12月22日に英国海軍オーディン号で品川港を出発、同年4月7日にパリに到着、フランスとの交渉では開港延期の了承は得られませんでした。文久2年(1863年)4月2日にロンドンに到着、サー・ラザフォード・オールコック駐日英国公使の協力を得て同年5月9日、開港開始を5年延期する「ロンドン覚書」が調印されました。その後、イギリスの働きかけもあり一行はフランスも含めた各国との交渉を終え同年12月11日に約1年間の旅程を終えて帰国しました。日本は開市開港の延期の代償として貿易の自由化を認めさせられ関税の低減などが義務づけられました。なおロシアとの樺太国境画定に関する交渉は合意に至りませんでした。
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