第17話「蝦夷地をめざせ」|明日なき戦いの果てに
江戸を脱出した榎本艦隊は房総沖で暴風雨により離散したが慶応4年(1868年)8月下旬には仙台藩松島湾の浦戸諸島寒風沢島に投錨した。この暴風雨で咸臨丸と美賀保丸の2隻が失われた。東北戦争は既に新政府軍勝利で決着がつき奥羽越列藩同盟は崩壊、新政府は9月8日に明治に改元した。旧幕府軍志士は仙台藩軍議で再会を果たすも12日には仙台藩も降伏を決断した。榎本武陽と土方歳三は撤回を求めたが仙台藩は領地が戦場になると応じず榎本艦隊は出港準備を始めた。
榎本艦隊には桑名藩松平定敬、大鳥圭介と伝習隊、土方歳三と新選組、古屋佐久左衛門と衝鋒隊、仙台藩の星恂太郎と額兵隊など約3千名が合流した。新政府軍が仙台に入城すると榎本艦隊は10月9日に仙台を離れた。このとき仙台藩の太江丸、鳳凰丸、千秋丸を艦隊に加えた。武陽は旧幕臣の救済策として蝦夷地の開拓とロシア侵略に備えるための防衛の必要性を説いた嘆願書を新政府軍に送り蝦夷地へ向かった。
10月20日、榎本艦隊は内浦湾に面する鷲ノ木(森町)から蝦夷地に上陸、圭介の隊が七飯方面、歳三の隊が湯の川方面から箱館攻略に向かった。戦闘開始に先立ち交渉のため箱館府知事の清水谷公考に人見勝太郎と本田幸七郎の部隊を派遣したが箱館府軍の攻撃を受けたため交戦状態となった。
旧幕府軍は箱館府軍を撃退しながら進軍、公考は五稜郭を放棄し青森へ退却した。26日、旧幕府軍は五稜郭を占領し榎本艦隊が箱館に入港、旧幕府軍の占領を知らずに箱館にやってきた秋田藩の軍艦の高雄丸(艦長は田島圭蔵)を拿捕し第二回天と改名し艦隊に加えた。
武陽が五稜郭に入城したのは11月1日である。
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