攘夷実行に従い長州藩が米国商船を砲撃(1863年5月10日)
文久3年(1863年)3月、徳川家茂は朝廷から攘夷実行の一任を取るため第3代将軍徳川家光以来229年ぶりに上洛しました。朝廷は幕府による攘夷の実行を求める代わり政務を従来通り幕府に委任しました。
幕府は同年5月10日に攘夷を実行すること決め諸藩に通達しました。しかしながらイギリスとの生麦事件や第二次東禅寺事件を解決しなければならない幕府にとって攘夷を実行する余裕はありませんでした。幕府は諸藩に攘夷実行を伝えると同時に実際に攘夷を実行することは列強との勝ち目のない戦争に突入することになり大きな損害をもたらすことも伝えました。
5月9日、幕府はイギリスに44万ドルの賠償金を支払い、各国公使に開港場の閉鎖および外国人退去を文書で通告しました。これによって攘夷実行の体裁を取りましたが、実際には各国公使に開港場の閉鎖はしないことを口頭で伝え間もなく文書にて通告を撤回しました。
尊皇攘夷運動に先鋭的な長州藩は馬関海峡(下関海峡、関門海峡)に砲台を建設し軍艦と藩兵を配置し海峡封鎖を行いました。馬関海峡の封鎖は列強の船舶の航行の大きな妨げとなりました。
文久3年(1863年)5月10日の攘夷実行当日、長州藩は田ノ浦沖に停泊するアメリカ商船ペンブローク号を発見しました。総奉行を務めていた長府藩の毛利元周は攘夷実行に消極的でしたが、長州藩の尊王攘夷派の中心人物である久坂玄瑞らが攘夷実行を主張しました。翌11日深夜、砲台と軍艦がペンブローク号を砲撃、ペンブローク号は田ノ浦沖を離れ周防灘へ逃げました。この異国船打ち払いの攘夷に対して朝廷は長州藩に対して褒勅を下し、志気を高めた長州藩はさらなる攘夷実行を進め23日にはフランス通報艦キャンシャン号、26日にはオランダ東洋艦隊所属メデューサ号を砲撃しました。これによって長州藩はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強と下関戦争に突入したのです。
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