第13話「フランスから来た男」|明日なき戦いの果てに
黒船来航後、幕府は軍隊の近代化を進めた。海軍は長崎海軍伝習所でオランダ人の指導を受けながら訓練したが、陸軍は西洋の武器を所有していたもののオランダ軍の教本による訓練でしかなかった。
慶応元年(1865年)閏5月、幕府は外国奉行として箱館に赴任していた柴田剛中を軍事訓練などの協力要請のためフランスとイギリスに派遣した。剛中はフランスとの交渉に成功したが、薩摩藩と関係を深めていたイギリスとの交渉は不調に終わった。幕府はナポレオン3世の承認でフランス軍事顧問団の協力を得ることになった。
幕府勘定奉行の小栗忠順はフランス軍事顧問団の訓練を受ける陸軍伝習隊の設立を進めた。これに大鳥圭介、荒井郁之助、本多幸七郎などが参加、圭介は士官訓練を受け隊長に就任した。シャルル・シャノワーヌ大尉が率いるフランス軍事顧問団は慶応2年12月8日に横浜に到着、洋式の歩兵・砲兵・騎兵の訓練を開始した。伝習隊の兵士には無頼の徒が集められたため訓練は決して順調ではなかった。慶応3年10月の大政奉還、慶応4年1月の戊辰戦争の勃発により軍事顧問団による訓練は継続できなくなった。
鳥羽・伏見の戦い後、駐日フランス公使レオン・ロッシュは慶喜に挙兵を求めたが拒否された。イギリス・アメリカ・オランダ・イタリア・プロセイン王国・フランスは局外中立を宣言、明治政府はフランス軍事顧問団に離日を命じた。多くの軍人は帰国したが副隊長ジュール・ブリュネ大尉、アンドレ・カズヌーヴ伍長、アルテュール・フォルタン軍曹、ジャン・マルラン軍曹、フランソワ・ブッフィエ軍曹の5人は旧幕府軍を支援するため日本に留まり戊辰戦争に身を投じた。
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