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2024年4月17日 (水)

アポロ13号が帰還(1970年4月17日)

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 アポロ13号はアメリカ合衆国のアポロ計画の3度目の有人月面飛行です。アポロ13号は1970年4月11日にサターンV 型ロケットでケネディ宇宙センター第39発射施設から発射されました。搭乗員はジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア船長、ジョン・レナード・"ジャック"・スワイガート・ジュニア司令船操縦士、フレッド・ウォレス・ヘイズ・ジュニア月着陸船操縦士の3名です。

アポロ13号の打ち上げ
アポロ13号の打ち上げ

 アポロ13号は発射直後に第2段ロケットの中央エンジンが予定より早く停止しましたが残りのエンジンで対応したため大事には至りませんでした。この原因はエンジンの振動によるもので空中分解の危険性があると判断し中央エンジンが自動的に停止したものでした。

 何とか事なきを得たアポロ13号は月を目指して飛行を続けましたが発射から2日後の13日、機械船の第2酸素タンクの残量表示の故障が発生しました。故障の原因を探るためにタンクの攪拌機のスイッチを入れたところタンク内部の電線が短絡し放電が発生、これによって第2酸素タンクが爆発してしまいました。

 このとき宇宙飛行士3人はこの爆発に気が付いておらず小惑星が衝突したと考えていました。しかし、この爆発により第1酸素タンクも損傷を受け数時間後には機械船の酸素が完全に失われることが判明しました。ジョンソン宇宙センターの管制官と宇宙飛行士は酸素を可能な限り維持するよう試みました。酸素タンクは司令船オデッセイ号にも存在していましたが、司令船の酸素は地球への帰還する大気圏突入時に必要となる10時間分しか搭載されていませんでした。月面着陸を目指していたアポロ13号には月着陸船アクエリアス号が連結されていました。宇宙飛行士たちは管制センターの指示で司令船の機能を停止し月着陸船に乗り移りました。

司令船オデッセイ号
司令船オデッセイ号

 アポロ13号の月面着陸のミッションは中止となり地球への無事帰還が新たなミッションとなりました。月に向かうアポロ13号が地球に帰還すするには機械船のエンジンを噴射して向きを変える方法(直接中止)と自由帰還軌道にそって月の裏側を回って向きを変える方法(月周回中止)の2つがあります。機械船のエンジンは爆発で損傷している可能性があるため直接中止は回避され、月周回中止が選択されました。

 ところがアポロ13号は月面着陸の目的地をめざすため自由帰還軌道からずれた軌道を取っていました。このまま進むと向きは変えられても地球に戻ることはできないため月着陸船の降下用エンジンの噴射を使って軌道修正が行われました。4月15日に月面から254.3 km上空を通過し月に最接近することに成功しました。これによってアポロ13号の地球への帰還の目処は立ちましたが宇宙飛行士が生還できるかどうかは先行きが不透明な状態でした。しかし、管制センターと宇宙飛行士はあらゆる手段を使って地球へ帰還することを目指したのです。

 宇宙飛行士が避難した月着陸船には酸素は十分に搭載されていましたが、2人が2日間滞在できるように設計されていました。宇宙飛行士たちが次に見舞われた問題は二酸化炭素の除去装置のフィルターに使われている水酸化リチウムの量でした。機内の二酸化炭素濃度が増えると中毒が発生します。月着陸船には3人が地球に帰還するまでに必要な量の水酸化リチウムはなかたのです。そこで管制センターは司令船の二酸化炭素除去フィルターを使うことにしました。司令船には十分な量のフィルターが搭載されていましたが司令船と月着陸船で使われているフィルターの規格が違っていたためその形状が異なりました。宇宙飛行士たちは管制センターの指示でビニール袋やボール紙をガムテープで貼り合わせフィルターを取り付ける枠を作成しこの難を逃れました。

 酸素と二酸化炭素の問題は解決しましたが電力と水の問題が残されていました。司令船と機械船には燃料電池が搭載されており発電とともに副産物として飲料水や冷却水を生成することができました。しかし月着陸船にはボタン電池に使われる酸化銀電池が搭載されていたため水を生成することができず電気も節約しなければなりませんでした。これによって宇宙飛行士は水を飲むことができず、船内の室温も下がり凍るほどの寒さとなりました。宇宙飛行士は汗をかいて水分が失われるのを恐れて宇宙服を着ませんでしたが、そのために船内のいたるところで水蒸気が凝縮して水滴がつきました。この結露による回路の短絡が懸念されましたが過去の事故の教訓から対策が施されていたため問題にはなりませんでした。

 苦難を乗り越えてアポロ13号は地球、目前の青い地球を見て飛行士3人は安堵したことでしょう。地球への帰還のためまず機械船を切り離しましたが、3人は機械船のタンクのカバーが全て失われているのを見て愕然としたそうです。

アポロ13号の機械船(大気圏再突入直前)
アポロ13号の機械船(大気圏再突入直前)

 3人は地球帰還直前まで滞在した月着陸船アクエリアス号から司令船オデッセイ号に乗り移りアクエリアス号を切り離しました。オデッセイ号は大気圏に突入し、1970年4月17日18:07:41 UTCに太平洋上の南緯21度38分24秒 西経165度21分42秒の地点に着水しました。こうして3人の宇宙飛行士たちが地球に生還することができたのです。アポロ13号が月面着陸を目的としたミッションでなければ宇宙飛行士たちは酸素不足で命を落としいたでしょう。

アポロ13号の宇宙飛行士(左からラヴェル、スワイガート、ヘイズ)
アポロ13号の宇宙飛行士(左からラヴェル、スワイガート、ヘイズ)

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