第11話「薩長同盟のゆくえ」|明日なき戦いの果てに
文久2年(1862年)8月の生麦事件をきっかけとして薩摩藩とイギリスの間で文久3年(1863年)7月に薩英戦争が起こった。戦後の講和交渉で薩摩藩とイギリスは友好関係を築き、イギリスから武器を輸入するようになった薩摩藩は軍事力を高めた。
文久3年(1863年)8月、薩摩藩と会津藩は強硬な尊皇攘夷派の長州藩勢力や公家を京都から追放する八月十八日の政変を起こした。元治元年(1864年)7月、長州藩勢力が会津藩勢力を排除しようと禁門の変(蛤御門の変)を起こすと長州藩は朝敵とされ、幕府は慶応元年(1865年)5月に第一次長州征討を行った。薩摩藩の参戦により長州藩は敗北し、朝敵とされた長州藩は武器を入手できなくなった。
薩英戦争で西洋の強大な軍事力を知った薩摩藩は旧態依然の幕政では日本を守ることができないと考えるようになった。同じ頃、日本の将来を憂いていたのが土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎だった。列強を前に国内が分断していては日本の未来が危ぶまれると考えていたた龍馬に勝海舟は薩摩藩の西郷隆盛を紹介した。龍馬は隆盛に長州藩と手を結ぶよう提案し、長州藩の桂小五郎にも薩摩藩と手を結ぶよう手引きした。敵対していた長州藩と薩摩藩の折り合いはなかなかつかなかったが、龍馬の亀山社中が薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に武器を提供すると関係が改善した。そして慶応2年(1866年)1月21日、京都市上京区の薩摩藩の家老の小松帯刀(清廉)邸で西郷隆盛と長州藩の桂小五郎の間でついに薩長同盟が締結された。
長州藩の敵対姿勢が強まると、幕府は長州藩に説明を求めたが応じないため同年6月に第二次長州征伐を行った。戦況は長州藩が不利だったが薩摩藩は参戦しなかった。長州藩が薩摩藩から購入した西洋式軍艦や武器で奮戦していたところ7月20日に将軍家茂が死去したこともあり幕府軍は総崩れとなり長州藩が勝利した。時代は倒幕に向けて流れ始めた。
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