江戸城が築城される(1457年4月8日)
江戸城と言えば江戸時代は徳川将軍家の居城で明治時代以降は皇居として知られていますが、江戸に最初に拠点を置いたのは平安時代末期の武将で武蔵江戸氏初代当主の江戸重継です。江戸重継は桓武平氏の平将常を祖とする秩父重綱の子ですが平安時代末期に武蔵国豊島郡江戸郷を継いだときに地名から江戸氏を名乗りました。
15世紀の享徳の乱で江戸氏が没落すると扇谷上杉家当主の上杉持朝の家臣の太田道灌が康正3年(1457年)に江戸城を築城しました。江戸城が完成し道灌が居城としたのは長禄元年4月8日(1457年5月1日)と言伝えられている。最初の江戸城は平山城で子城、中城、外城の三重となっており周囲は堀や切岸で囲まれ門や橋が設置されていました。
上杉持朝の子で扇谷上杉家当主となった上杉定正は優秀な道灌に対して反感を持っていました。道灌は自身に対する中傷に対して弁明はしませんでした自身の功績が評価されていないことには不満があったようです。定正は道灌に対して疑心暗鬼を抱くようになりました。文明18年7月26日(1486年8月25日)、道灌は扇谷定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれたときに定正の重臣の曽我兵庫に暗殺されました。その後、江戸城は上杉氏が所有し上杉朝良が隠居城として用いた。
大永4年(1524年)には後北条氏の北条氏綱が扇谷上杉氏を破り江戸城に入りました。天正18年(1590年)、江戸城は豊臣秀吉の小田原攻めで開城し、秀吉の命で徳川家康が駿府から江戸に居城を移しました。以降、江戸城は徳川家の居城となり、江戸幕府が開かれると大規模な拡張工事が行われ日本最大の城郭になりました。
大政奉還後の明治政府樹立で江戸城が無血開城したのは慶応4年4月11日(1868年5月3日)です。慶応4年7月17日(1868年9月3日)に江戸が東京に改称され、同年9月8日に元号が明治に改元されると同年10月13日に明治天皇が江戸城に入り東京城と改められました。、
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